毎朝口にする「パン」に潜んでいる驚きの"真実" 英語だらけの洋食用語、ブレッドと言わない訳
それではあんぱんの「パン」は長崎の方言が由来かというと、そうともいえないのです。木村屋のあんぱんが発売される頃には、すでに東京、横浜において「パン」という言葉が定着していたからです。
幕末から明治初期の東京、横浜において作られ、販売されていたパンはフランスパン。「パン」はフランス語の「pain」が日本に定着した言葉なのです。
横浜や東京でフランスパンが普及した理由
幕末の横浜や東京においてフランスパンが普及した理由は、幕府とフランスとの密接な関係にありました。
幕府がフランスの援助を受けていた関係から、幕末から明治初期の東京横浜に最も多く在住していた外国人は、フランス人でした。1868(明治元)年におけるお雇い外国人は、フランス人が60%以上と多数を占めていたのです。(尾髙煌之助『明治のお雇い外国人たちと産業発展の構図』)
開港後、横浜や東京には外国人向けホテルがオープンしますが、そこでの料理も当時のホテル料理のスタンダードである、フランス料理を中心としていました。
こうした外国人向けホテルでフランス料理に接した日本人の数は、そう多くはなかったでしょう。一方、パン屋のフランスパンは気軽に買えたらしく、日本人も食べていたようです。
新聞広告にはカタカナで「パン」と明記されていました。こうして次第に、日本人の間にフランス語であるパン「pain」が普及していったのです。
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