毎朝口にする「パン」に潜んでいる驚きの"真実" 英語だらけの洋食用語、ブレッドと言わない訳

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
なぜ「ブレッド」という呼び名が定着しなかったのでしょうか(写真:チリーズ / PIXTA)

フランス料理のレシピを掲載した日本最古の料理本、1898(明治31)年出版の『和清西洋料理法自在』において、著者の半渓散人は次のように述べます。

“現今我國(わがくに)にて行なはるるものは多くは英吉利西(いぎりす)の料理法なれば(中略)料理の品目を呼ぶもフライ。ビフテーキ。スープの類の如き皆英語を用ゆるなり”

日本の洋食はイギリスの影響をうけているため、料理名にはフライ(fry)、ビフテキ(beef steak)、スープ(soup)などの英語が使用されています。

カレーライスやシチューなどの料理名だけでなく、調味料や食器や什器(ウスターソース、ナイフ、フォーク、テーブル)、洋食関連用語(ランチ、ディナー、マナー)もほとんどが英語です。

しかしながら、英語だらけの洋食用語の中、「パン」は英語の「ブレッド」ではありません。なぜ日本人は、ブレッドではなくパンという言葉を選んだのでしょうか? そしてパンとは何語なのでしょうか?

長崎で定着した「パン」の呼び名

鎖国から幕末までの江戸時代において、唯一パンが焼かれていた場所が長崎です。出島のオランダ人たちがパンを必要としていたからです。

長崎で焼かれていたパンは酒種パンでした。中国由来の日本の菓子、饅頭の生地は甘酒に定着した酵母(酒種)を使って膨らませますが、この饅頭の生地を蒸すかわりに焼いたのが長崎の酒種パンです。

長崎ではパンのことを「パン」と呼んでいました。その語源は定かではないのですが、ともかくも長崎の方言として「パン」という言葉が定着していたのです。

長崎のパン職人梅吉を東京に呼び寄せ、酒種パンを焼いて販売したのが木村屋總本店。木村屋の「酒種あんぱん」は蒸すかわりに焼いた餡入り饅頭であり、そのルーツは長崎、さらには中国にあるのです。

次ページ東京や横浜ではフランスパンが普及
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事