「家族解体」で教団依存を狙うカルトの悪質手口 「社会的不適応は毒親のせい」と責任を転嫁

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最近「毒親」という言葉がよく聞かれるようになっているが、それもまた同様の心理である。確かに、毒親と言われても仕方ない親はいるし、悲惨な家庭環境で育った人もいる。しかし、過去の親を責めても、現在自分が抱える問題の解決にならないことは明白である。

このように心理的に親や家族を敵視させることに加えて、カルトが行うことは金銭の収奪である。金銭を差し出すことを忠誠の証しだと教え込み、信者は無理をしてでも財産をカルトに捧げるようになる。すると、信者はもう社会的には無力な存在となってしまい、カルトに庇護されないと社会的に生きていけなくなってしまうという悪循環が生まれるのだ。

家族を悪魔化させたり、教団や教祖を絶対視させたりするような心理的プロセスは、マインドコントロール、あるいは洗脳と呼ばれる。これには、心理学だけでなく生理学的なプロセスも大きな影響力を持つ。

極限状態に置いて言いなりにさせる

すなわち、社会から隔絶した環境のなかで、色や音など感覚的な刺激を奪うような何もない部屋で、食事や睡眠も与えず、心身の衰弱を図って、判断力や抵抗力を抑え、被暗示性を高めた状態に置く。

すると、人間はどうなるか。人間の欲求は、ピラミッドのような階層をなしていると主張したのは、心理学者のマズローであるが、その最下層には食や睡眠などの本能的欲求がある。そして、上層に自己実現などの個人的、社会的欲求がある。

カルトが信者をマインドコントロールする過程において、信者たちはこの最下層の欲求の充足さえ危うい状態に置かれ続けるため、それより高次の欲求を抱かなくなるのである。すなわち、生きていくためにはどうしても必要な欲求のみを追い求め、それより高次な自己実現などの欲求には関心がなくなる。しかし、そうなったとしても困ることはない。なぜなら、カルトや教祖が言うとおりに生きていけばよいからだ。

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