「家族解体」で教団依存を狙うカルトの悪質手口 「社会的不適応は毒親のせい」と責任を転嫁

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カルトの教祖は、しばしば何らかの精神病理を有していると言われている。それは広義の精神的問題であって、多くの場合、パーソナリティの問題である。例えば、自己愛性パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害などが挙げられる。

自己愛性パーソナリティ障害とは、「誇大性、賛美されたい欲求、共感の欠如」を中核としたもので、具体的には「自分が重要であるとの誇大な感覚」「限りない成功、権力、才気、美しさ、理想的な愛の空想にとらわれている」「自分が特別であり、独特であるなどと信じている」という特徴をもつ。

さらにサイコパスと呼ばれるパーソナリティの問題も重要である。サイコパスとは、他者を魅了し操作することに長け、尊大で、何の良心の呵責もなく嘘をついたり他人を搾取したりするパーソナリティのことである。

カルト信者の特徴的な心理

カルトに取り込まれてしまう人には、一定の心理的特徴があると指摘されている。第1に重要な概念は、「曖昧さ耐性の欠如」と呼ばれる問題である。複雑化する現代社会では、黒か白かはっきりしない問題、答えのない問題が多い。

例えば、現下のコロナ禍でも、パンデミックはいつ終わるのか、経済の先行きはどうなるのかなど、おそらくは誰も明確には答えられない問題ばかりである。曖昧さ耐性が欠如している人々は、こうした答えのない状況に不安を抱き、明確な答えをくれる存在を求めてしまう。そして、カルトやカルトの教祖は、そこに明確な答えをくれる存在となる。教祖の教えが断言調であることに、信者は救われた思いをするのだが、断言できるのはそこに根拠がないからだ。

第2に、「純粋さへの欲求」という心理的特徴も指摘されている。元来何らかの慢性的な罪悪感や羞恥心を抱いている人々が、それらを紛らわせるために、「自分は罪深い存在だから救われたい。純粋でありたい、良き人でありたい」と切望するようになる。そして、教団の教えに従うことが、すなわち「救われること」「良き人」であると思い込むという心理的プロセスである。

私が直接面接をした複数のオウム真理教の信者にも、このような心理が非常に多くみられたが、これらの2つの心理過程に共通しているものがある。それは、不安、自信欠如、罪悪感などが基盤にあって、それを克服しようと願っていることである。しかし、それに伴う努力は放棄し、誰かに救いをゆだねてしまっているという点である。

自分自身が抱く問題への答えを与えてくれる教祖や教団は、自らの存在意義を与えてくれるものとなり、いわば実存的な意味から、もはやそこから離脱することは不可能になる。つまり、教団こそが彼らの生きる意味となっているのである。

参考文献
American Psychiatric Association (2022). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (5th ed., text rev.).
Whitsett D & Kent SA (2003). Cults and Families. Families in Society, 84(4),491-502.
原田 隆之 筑波大学教授

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はらだ たかゆき / Takayuki Harada

1964年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程中退、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校大学院修士課程修了。法務省法務専門官、国連Associate Expert等を歴任。筑波大学教授。保健学博士(東京大学)。東京大学大学院医学系研究科客員研究員。主たる研究領域は、犯罪心理学、認知行動療法とエビデンスに基づいた心理臨床である。テーマとしては、犯罪・非行、依存症、性犯罪等に対する実証的研究を行っている

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