企業の成長とは、こうした現象を言います。1982年までは、高度成長の中で両社とも同じように成長している。つまり、企業が成長したのではなく、市場が成長したのです。
では、なぜここで分かれたのか。
それを掘り下げる前にもう一度図を見ていただくと、最初の10年は高度成長です。私たちは、高度成長はすごかったというイメージを持っていますが、その「すごかった」時代の売上高の傾きと、2000年から先の傾きを比較してみてください。
日本経済の停滞、失われた20年などと言われていましたが、そんな中でも、トヨタは恐ろしいほどの成長を遂げています。データを見れば、日本経済総崩れではなく、きちんと成長している企業があるのです。
ちなみにこのパターンは、トヨタだから、ということではなく、第2巻に登場する110ケースの多くに共通して見られるものとなっています。
日産とホンダを追い抜いた後のトヨタの行動
では、何が起きたのでしょうか。1982年まで、トヨタは日産と競争するステージにいます。でも、そこで技を繰り出して日産を引き離すと、その先は、トヨタのライバルは日産ではなくなりました。
そこから先のトヨタの仮想敵企業は、アメリカホンダです。トヨタは主戦場を日本からアメリカに動かしたのです。
日本でははるか下に見える本田技研工業は、いつの間にかアメリカに行って成功している。これはいかんということで、アメリカでホンダに勝つことにトヨタは心血を注ぐようになっていくのです。
アメリカにおけるファミリーセダン、主戦場の車のマーケットシェアナンバーワンは、ずっとホンダのアコードでした。それをトヨタが追い抜くのに成功したのは、ようやく1990年代に入ってからです。
それから張富士夫さんが社長になり、アメリカホンダから次に行こうとギアチェンジをして、トヨタは世界に出てきます。そこでの仮想敵企業はゼネラル・モーターズ(GM)に移るわけです。
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