学歴を忌避する人を打ち負かす動かしがたい事実 小田嶋隆「学校のクラスは社会の階級の卵である」

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世の中には自分の判断に自信を持てない人々がいる。

そういう人々は、世間に流布している学歴ランキングを金科玉条(きんかぎょくじょう)の如くに尊重する。というよりも、彼らは、他人が決めたランキングでないと信用できない。

彼らにとって、「ランク」とは「世間の目」であったり、「公的機関によって認定された資格や成績」であったり、「値札のついたブランド」であったりする。

つまり、ほかならぬ自分自身の主観を信じることができない彼らにとって、「ランク」はあくまでも他人様との横並び意識の中で決定される受動的な基準なのである。

生まれてこの方、自分でランキングを作ることを学ばず(つまり、自分固有の価値観を持たず)、他人にランク付けされることだけに慣れてきた人々は、結局、他人に押しつけられた価値観の中に身を置いて自己確認をするほかに生きる術(すべ)を持たない。

で、彼らは「客観的な基準」に自らの判断を準拠させようとする。

「客観」は「他人の主観」に過ぎない

さてしかし、いま「客観」と書いたばかりだが、そんなものは実はこの世の中には実在しない。

われわれが客観だと思っているのは、「他人の主観」に過ぎなかったりする。で、その他人の主観の実態はというと「世間様の評判」であったりするわけで、その最たるものが、ブランドとしての学歴だ。彼らが信じているのは、いわば「他観」である。

こういう人たちは、たとえば商品を見る時に、商品そのものよりもそれについているタグを信用する。

「あら、エルメスね、素敵だわ」

さらにひどい場合には、商標どころか値札そのもので判断する。

「あら、このブラウス8万円なのね。素敵だわ」

本来、値札は、商品力に対して付けられているものだ。

消費者が正しい評価眼を持っている場合、価格は、商品の価値に応じて自動的に決まる。

が、消費者が価値に対して無感覚である場合、話は逆で、商品に付けられた値札が、価値を決定することになる。

学歴についても同じことが言える。

正しい批評眼を持っていれば、価値の高い学校に学生が集まり、その結果としてその学校の競争率上昇に伴って偏差値が上がるはずだ。

が、受験生が無感覚な時、価値は逆流する。すなわち、偏差値の高さが、その学校の価値だと信じられるわけだ。

であるから、こういう人は中谷アキヒロの会社ランク付け本だとか、田中康夫の大学ブランド星取表みたいな著作を読まないと安心できない。

「あら、Kなの? 素敵だわ」

「あら、J大学の外国語学部って、偏差値74じゃない。すごいわ」

ばか。

……と、こういうものの言い方をすると、当然反発する人も出てくるだろう。

彼らはおそらくこう言う。

「学歴の価値が画一的だというのはキミの思いこみに過ぎない」

「大学のランクと一口に言っても、偏差値順に上から順に番号が振れるほど単純なものではない」

なるほど。田中康夫もそう言っているね。

次ページブランドの個性の違いを言い立てても結局値段はついている
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