日本で働くフィリピン人女性「幸せを感じる瞬間」 高級レストランやブランド服より大切なもの
1986年、近所の人から「日本に行くか」と声をかけられたロウェナさんは、迷うことなく「行く!」と答えた。19歳。知っている日本語は「サヨナラ」だけ。どんな仕事が斡旋されるのか、来日するまでわからない。そんな状態で、ひとりで海を渡るなんて、ものすごい勇気だ。
最初の勤務地は名古屋。スナックと居酒屋を掛け持ちして働いた。フィリピン人の先輩が意地悪で、わからない日本語を尋ねるたびにイライラした態度で接してくる。それでロウェナさんの負けん気に火がついた。
「悔しいから、じゃあもう先輩に頼らず日本語を覚えてやろうって決めたの」。毎日、新しい単語と出会うたびにメモして、お店に飲みにくる日本人客に質問しまくった。「日本人は教えるのが好きな人が多くて、結構細かく教えてくれるんです」。
帰宅後、その日書いた単語メモを家の戸棚や引き出しに隠す。そうすれば忘れた頃にそのメモが出てきて、復習できる。この独自のメモ作戦、およびテレビアニメ『サザエさん』を欠かさず見るという勉強法で、ロウェナさんは日本語力をつけていった。「しばらくすると意地悪な先輩より日本語が上手になってね。先輩に『これどういう意味?』って聞かれたときに、同じ態度とってやった。ザマミロ、ね」。フフ、ロウェナさん、やっぱり気が強い。
フィリピンに送金する瞬間が本当に幸せ
名古屋には半年だけいて、そのあとは東京・板橋のスナックに移った。景気がいい時代だから店は忙しく、めちゃくちゃ働いた。「お給料をもらったら、その日だけ好きなものを食べるの。安楽亭の焼肉とかね。残りはほとんど全部、フィリピンに送ります。その、送金する瞬間が本当に幸せ。これで家族が暮らせるんだと思うと最高なの」。
このインタビューをしたとき、まわりに組合仲間のフィリピン人女性が数人いたのだが、みんなが「そうそうそう!」と一斉にうなずいた。
できるだけお金を送りたいから、贅沢はしないの。ご飯と卵があればいいもんね。カップラーメンも好き。あとツナ缶。量はたくさん食べてるよ。見てー、私たちみんな太ってるー。
そんなことを口々に言って、笑っている。
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