母の失踪で4人の弟の面倒を見る高3女子の選択 ヤングケアラーがSOSを出せるようになるには

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こどもの里の大きな特徴は、子どもが抱えているニーズに合わせてそのつど可塑的にサポートが組み立てられうるということだ。この点は普遍的な意味を持っている。行政によって定められた制度がなかったとしても、子どもが衣食に困っているのだから、それをサポートするのだ。

困難を抱えた子どもたちの支えに

日々の生活に必要な部分を補い、大谷さんときょうだいが生きていく力を発揮するためのサポートを、こどもの里は担っている。そしてここでも「~してくれる」こどもの里と、「~してもらう」SOSを出す力を持つ大谷さんとの組み合わせでサバイブすることが可能になっているのだ。これが力の補強の具体的な表現である。

ヤングケアラーになる前から誰もが利用できる居場所が機能し、困難に気づき、さらに困難に合わせてサポートが組み立てられる。これらのことが可能になったとしたら、ヤングケアラーのみならず他の困難を抱えた子どもにとっても、大きな支えになるだろう。

大谷さん:だから、弟らも、一番下の子は小学校であらぶってたんで、私が呼ばれたりとか。そのときもう母いないんで、先生に呼び出しくらった。「すみません」って言って謝ったりしましたし、次男が「高校行けへん」とかなったら、もううわって言い合いしたし。だから、親がいなくなってからは私が親みたいになってしまって、やってましたね。

弟のことについて学校から呼び出しをされるということは、学校側も大谷さんに親役割を要求していたということである。周囲からも「親の代わり」として振る舞うように暗黙の圧力があったということだ。「私が親みたいになってしまって」と、親の代理として4人の弟たちの面倒を見ることを強制されている。

大谷さん:きょうだいなんですけど、変に感じなくていい罪悪感みたいなのはありますね。
村上:弟さんに?
大谷さん:そうですね。私がする必要ないんですけど、『ちゃんとしてあげられへんかったな』みたいな。〔……〕もうちょっと若いときはちょっとありましたね。親が感じるような。『今やったらちゃんとしてあげれたのにな』とかっていうのはありましたね。上2人は『もうしゃあないな』って、何でか知らんけど思いますけど。

大谷さんが上の2人の弟に対して語る罪悪感は、親の代わりになりきれなかったことに対する罪悪感であると読み取ることができる。「私がする必要ないんですけど」と自分の責任ではないのに罪悪感を覚えるというヤングケアラーは多い。

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