母を「守らな」20代息子が介護中心生活を送る事情 全存在で「ヤングケアラー」の役割を引き受けて

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村上靖彦さん(写真:本人提供)

私がけいたさんと出会ったのは、コロナウイルス感染症が拡がる前だった。社会福祉士の吉田正義さんと保育士の西野伸一さんが主宰する社会問題研究会に、けいたさんはときどき参加していたのだった。

大阪・釜ヶ崎の真んなかにあるわかくさ保育園で、月に一度行われていたこの研究会には地域の支援者が多数集まっていたのだが、当時未成年だったけいたさんも最年少のメンバーとして参加していた。会場で自分の意見を述べる姿も何度か目にしていて、しっかりと考えている若者だという印象を私は持っていた。

とはいえ当時は、数回言葉をかわしただけで、近隣にある今池こどもの家という児童館でボランティアをしているというけいたさんが、どのような生い立ちであるか、まったく知らなかった。

深刻なうつ状態にあったけいたさん

そこから3年ほどたった頃、吉田さんから「けいたさんの勉強の手伝いをしてくれる学生ボランティアを探してくれないか」という連絡があり、私のゼミ生が「ぜひ」と手を挙げてくれた。そのとき少し事情を知ることになったのだが、直後にヤングケアラーとして私のインタビューに応じてくれたAさんの語りのなかで、けいたさんが登場したのだった。

けいたさんとAさんは幼稚園以来の「幼馴染(おさななじみ)」だ[けいたさんの手]]。このとき私は、けいたさんもまたヤングケアラーとして育ってきたということを知った。

インタビューの少し前の約1年間、けいたさんは希死念慮をともなう深刻なうつ状態のため家に引きこもっていた。その期間にけいたさんは自分のライフストーリーを振り返る手記を、三人称の「K少年」「K青年」を主人公として書いていた(手記にはインタビューのちょうど1年前の日付がある)。この手記も許可をいただいたので、以下で少し引用することになる。

この手記とインタビューで語られる出来事はほぼ重なるのだが、ところどころ独自の内容がある。

特にインタビューではヤングケアラーとしての母親との関係が多く語られたのに対し、手記はけいたさんが自分自身について内省する。そしてインタビューは母親が倒れた日の場面から始まり、手記は幼少時に父と不仲だったことから始まる。この2つはけいたさんの人生を大きく決定した出来事である。

インタビューには、本章の冒頭で紹介した、けいたさんをサポートしてきた大人の一人であるNPO法人子育て運動「えん」の吉田正義さんも同席していた(インタビューをNPOの事務所で行った)。

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