母を「守らな」20代息子が介護中心生活を送る事情 全存在で「ヤングケアラー」の役割を引き受けて
母が倒れたとき
インタビューの語りは母が倒れた日の場面から始まった。
母親が倒れた「4月の23日」はインタビューと手記のなかで唯一登場した日付であり、けいたさんのなかで際立っていることが分かる。母が倒れたという知らせを学校で聞いたけいたさんは「頭真っ白になって」と語る。このあともショックの瞬間に「頭真っ白」になる状況に繰り返し立ち返ることになる。
けいたさんの時間をもっとも強く分節しているのが、母親が倒れ「頭真っ白」になる瞬間である。けいたさんにとって母親が病で倒れたことは、人生全体を決定づける出来事であった。これは中学1年生の頃の出来事であるからインタビュー時より1年ほど前なのだが、その後も母親が体調を崩すと「何かあったらどうしよう」という形で登場し続ける出来事であり、そのつど特別な瞬間として表現される。
「気づかれへんかった」という語りは、奇妙でもある。学校にいるときに母親が倒れたのだから気づけないのは仕方ない。どうもけいたさんは予兆を先取りすべきであったと意識しているようだ。それゆえ〈倒れた後〉は、母親の体調に気づかなかったことに対する「申し訳なさ」が支配する。
つまり、倒れることへの不安が、実際に倒れる前からあった。夫婦げんかや、母と兄とのけんかゆえに、母親が倒れるのではないか「どうしよう」という不安があり、母は「守らな」いけないとけいたさんに思わせる存在だったのだ。
はっきりとは語られていないが、いさかいは相当に激しいものだったようだ。くも膜下出血で〈倒れる前〉から、「頭真っ白」になる瞬間を先取りし不安になる場面はこの後も登場する。母親がけいたさんの存在を支える基盤であったとともに、母が失われることへの不安も病以前から持っていたようだ。
けいたさんにおいては時間全体がこの「頭真っ白」の瞬間を基準として〈倒れる前〉と〈倒れた後〉に分節されている。と同時に、過去から未来全体にわたって倒れたと知った瞬間の「どうしよう」が浸透して持続している。
この「頭真っ白」「どうしよう」こそが、けいたさんの経験の基層をなすモチーフだ。一人ひとりのヤングケアラーのライフストーリーの基礎となるモチーフは、一般化できないし自分では気づくことが難しいものであろう。しかしケアを含む本人の行動のスタイルを決める重要な土台だ。
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