一週間前に戻してほしいという突拍子もない要望を聞いた平井であったが、「だってさ」と、数の困惑顔を見ながらつぶやき、数は数で「あ、はぁ」と応えただけで、それ以上何も言わなかった。
この喫茶店が過去に戻れるという都市伝説で有名になったのは数年前の話だった。当時は特に興味もなかったので、二美子の記憶からは消えていた。一週間前、この喫茶店に入ったのはまったくの偶然である。
昨晩、二美子は何気なくバラエティ番組を見ていた。冒頭で、司会者が口にした「都市伝説」という言葉を聞いて、雷に打たれたように二美子の頭の中に、この喫茶店の記憶がよみがえった。断片的な記憶ではあったがハッキリ思い出したのは「過去に戻れる喫茶店」というキーワードだった。
「過去に戻れるなら、やり直せるかもしれない。もう一度、五郎と話ができるかもしれない」
頭の中でくり返される非現実的な希望が二美子に冷静な判断力を失わせた。翌朝、朝食をとるのも忘れて職場に向かったが仕事も手につかず、時間ばかりが気になった。一秒でも早く確かめたい。仕事中、同僚に「大丈夫?」と聞かれるほど注意力が散漫になり、小さなミスを連発した。終業時間がせまると二美子のソワソワは最高潮に達した。
会社から喫茶店までは、電車を乗り継ぎ三十分。最寄駅から喫茶店までは、ほぼ駆け足だった。ぜーぜーと息を切らしながら店内に入った二美子は「いらっしゃいませ」も言い終わらない数に向かって「過去に戻らせてください!」と言い放ち、その勢いは説明が終わるまで続いた。
だが、目の前にいる二人の反応を見て二美子は不安になった。平井は二美子の顔を見てニヤニヤしているだけだし、冷めた表情をした数は、二美子と目も合わせようとしない。
しかも、もし本当に過去に戻れるというのなら、もっともっと人がつめかけていいはずである。だが、ここにいるのは一週間前と同じ、白いワンピースの女と、旅行雑誌を広げる男、それと平井と数だけだった。
「やり直します!」
二美子は少し不安げに、
「戻れるん、ですよね?」
と、尋ねた。むしろ、それを先に聞くべきだったのかもしれないと思ったが、後の祭りである。
「どうなんですか?」
二美子はカウンター越しに数につめよった。
聞かれた数は、やはり二美子の目を見ることなく、
「え、あ、まぁ……」
と、曖昧な返事をした。
だが、その返事を聞いた途端、二美子の目は爛々と輝きはじめた。ノーではない。ノーではなかった。二美子のテンションが一気に跳ね上がる。
「戻してください!」
カウンターを飛び越えそうな勢いで二美子が訴える。
「戻ってどうすんの?」
冷めたコーヒーをズズズとすすりながら平井が冷静に質問する。
「やり直します!」
二美子の目は真剣である。
「なるほど」
平井は肩をすぼめながら言った。
「お願いします!」
二美子の一段と大きな声が店内に響いた。
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