店内には三人の客とウエイトレスがいた。一番奥のテーブルには白い半袖のワンピースを着た女が静かに本を読み、入口に近いテーブルでは冴えない男が旅行雑誌を広げ何やら小さなノートにメモを取っている。カウンターに座る女は真っ赤なキャミソールに緑のスパッツ、椅子の背もたれにちゃんちゃんこをかけ、髪にはカーラーをつけたままだった。なぜか、このカーラーをつけた女だけはチラリと二美子達を見てニヤニヤ笑っていた。二美子が五郎と話をしている間も、時々カウンターの中のウエイトレスに話しかけてはギャハハと大きな声をあげていた。
そのカーラーの女が二美子の説明に、
「なるほど」
と応えた。納得したわけではない。話の区切りに相槌をうっただけだ。
カーラーの女の名前は平井八絵子。今年三十路をむかえたばかりの、近所でスナックを経営している常連客である。出勤前にはかならずこの喫茶店でコーヒーを飲んでいる。 今日もカーラーをつけたままだが服装は一週間前とは違い、肩が丸出しの黄色のチューブトップに、真っ赤なミニスカート、鮮やかな紫色のスパッツを穿いている。
平井はカウンター席の椅子の上であぐらをかきながら二美子の話を聞いていた。
「一週間前の事です。覚えてますよね?」
二美子は立ち上がり、カウンター越しにウエイトレスにつめよった。
「ええ、まぁ」
ウエイトレスは困惑した表情で二美子の顔も見ずに答えた。
ウエイトレスの名前は時田数。数はこの喫茶店のマスターの従妹で美術系の大学に通いながらウエイトレスとして働いている。色白で切れ長の目をしたきれいな顔立ちではあるが、これといった特徴がない。一度見て、目の前で目を閉じると、はて、どんな顔だったかすぐには思い出せなくなる。一言でいえば影が薄い。存在感がない。しかし、 数自身は他人と関わるのを面倒くさいと考える性格だったので、友達は少なかったが、それで悩んだ事は一度もなかった。
「で、今、彼氏は?」
平井は興味なさそうにコーヒーカップをもてあそびながら質問をした。
「アメリカです」
二美子は頬をふくらませながら答えた。
「つまり彼氏は仕事を選んだってわけだ?」
平井は二美子の顔も見ずにサラリと核心をついた。
「違います!」
二美子は目を見開いて否定した。
「え? いや、違わないよね? アメリカ行っちゃったんでしょ?」
と、平井は驚いたような顔で切り返した。二美子も必死に反論する。
「一週間前のあの日に戻してください!」
「今の説明でわからなかったんですか?」
「なにが?」
「プライドが邪魔して、行かないで! って言えなかった私の女心です!」
「自分で言う?」
平井はそう言いながら、のけぞって椅子から落ちそうになった。そんな平井のリアクションを無視して二美子は、
「わかりましたよね?」
と、数に助けを求めた。数はほんの数秒考えるようなそぶりを見せたが、
「つまり、本当はアメリカには行ってほしくなかった?」
数も数で核心をついた返事をした。
「もちろん、それはそうなんですけど……」
嬉しそうに、もじもじ答える二美子を見て平井は、
「わからん」
と、一蹴した。きっと、平井が二美子の立場ならその場で泣いて、行かないで! と叫んだ事だろう。もちろん噓泣きである。涙は女の武器。それが平井の持論であった。
二美子はカウンターの中の数にキラキラした瞳を向けながら、
「とにかく、私をあの日に、一週間前のあの日に戻してください!」
と、真顔で訴えた。
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