男は再び自分の腕時計を見た。搭乗時間から逆算するとそろそろこの喫茶店を出なくてはいけないのだろう、落ち着きなく右眉の上をかいている。女は男が時間を気にしている様子を目の端で捉えてイライラし、荒々しくカップを置いた。あまりに激しく置いたのでカップとソーサーがガチャリと大きな音を立て、男はびくりとする。
男は右眉をかいていた手で、グシャグシャと髪をかきむしった。それから、小さく深呼吸をすると、女の向かいの席にゆっくりと腰を下ろした。明らかにさっきまでのおどおどしていた態度ではない。
女は何やら雰囲気の変わった男の顔を見て戸惑い、うつむき、膝の上で組んだ手を見つめるのに集中する事で男の顔を見ないようにした。
時間を気にしていた男は、女が顔をあげるのを待たずに、
「あのさ」
と、切り出した。さっきまでの聞き取りにくいぼそぼそ声ではない。しっかりとした口調である。
だが、女は男の次の言葉をさえぎるように、
「行けば?」
と、うつむいたまま、投げやりな言葉を口にした。
「時間なんでしょ?」
説明を求めた女がその説明をあからさまに拒否している。男は虚をつかれ、時間が止まったように動かなくなった。
「時間なんでしょ?」
女はすねた子供のような言い方をした。男は女の言った事の意味を理解しきれていないような戸惑った表情をしている。女は自分でも子供じみた嫌な言い方をした事を自覚したのだろう、気まずそうに男から目を逸らし、唇を噛みしめた。
男は、音も立てずに椅子から立ち上がると、カウンターの中にいるウエイトレスに小さく声をかけた。
「すいません、お会計を」
男は伝票に手をのばしたが、その伝票を女の手が押さえた。
「私、まだいるから……」
自分が払う、と言おうとしたが、男は力なく伝票を引き抜いてレジに向かった。
「一緒で」
「いいって」
女は座ったまま、男に向かって手をのばした。だが、男は女を見ようとせず、財布から千円札を一枚取り出し、
「おつりいらないんで……」
と、ウエイトレスに伝票と一緒に渡すと、一瞬、女に悲しそうな顔を向けて、そのまま静かにキャリーバッグを引きずって出て行ってしまった。
カランコロン。
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