「知床観光船事故」報告に思う「国の調査」の不条理 2008年犬吠埼沖の漁船沈没事故との大きな「格差」

拡大
縮小

知床観光船の報告書と比較すれば、内容の納得性も公表時期も、雲泥の差があるのだという。屈指の専門家が集っているはずの運輸安全委員会が、それほどまでにずさんな報告書を出してしまうとは、にわかに信じがたいが、実は、当事者たちは黙っていなかった。

船主や生存者らは事故直後から「波で転覆してもすぐに沈むことはない」などと疑念を募らせ、運輸安全委員会の中間報告が公表されたころには「おかしい、おかしい」という声をさらに強めた。専門家らが実験槽を作って被験者を油のプールに入れるなどして、報告書の内容を再チェックし、中間報告の矛盾を突いた。

それでも、運輸安全委員会は生存者らの言い分をくみ取ることなく、「原因は波」で突っ走ってしまったのだ。

転覆事故ではなく「事件」の可能性

船の外から何らかの力がかかり、船底を損傷させ、船は転覆・沈没。損傷部分からは大量の油が瞬時に漏れ出た――。多くの関係者や研究者らの取材を重ね、伊澤氏はそう結論付けていく。

事故当時の現場海域は多少シケてはいたものの、波で転覆するような海況・気象ではなかった。「パラシュート・アンカー」を用いて碇泊中の船内では、乗組員たちがのんびりと束の間の休息を楽しんでいた。波への危機感はまったくない。そんな中で、船は突然、激しい2度の衝撃を食らった後で転覆し、沈没したのである。

伊澤氏は「何らかの外力とは何だったか」を徹底追究していく。千葉県沖の太平洋に氷山はない。種々の状況からクジラなどの海洋生物の可能性はほぼゼロ……。各分野の専門家らへの取材を続け、可能性を1つずつ潰していく。そうしたプロセスを経てたどり着いた結論は波による転覆事故ではなく、“事件の可能性がある”というものだった。

第58寿和丸の船主は、福島県いわき市小名浜の漁業会社・酢屋商店である。同社の野崎哲社長は福島県漁連の会長であり、福島原発事故に関する汚染水処理の対応にも当たってきた。

原発の汚染水は来春以降にも海洋放出が始まるとされている。それに向けて地元漁業者と国・東電の折衝が何度も続いている。テレビのニュースでその場面を見た人は、地元漁業者として野崎氏の顔を目にしたことがあるかもしれない。

「でも」と伊澤氏は言う。

「海洋放出の交渉の場に座る国・東電の関係者でさえ、野崎氏が17人もの命を奪われた事故の原因究明に大きな疑問を持ち、今も苦しみのさなかにあるとは想像もしていないでしょう。事故が起きたこと自体も理不尽だったでしょうけれども、国の調査機関が示した結論が矛盾だらけという理不尽もまた、当事者を苦しめるのです」

次ページカギはどのような調査を行ったのか
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT