「知床観光船事故」報告に思う「国の調査」の不条理 2008年犬吠埼沖の漁船沈没事故との大きな「格差」
船主や生存者たちは今現在も「調査結果にはまったく納得できない」「原因は波とされたが、あの状況下で波によって転覆し、あんな短時間で沈没するはずがない」といった疑念を持ち続けている。「漁師だから軽く見られ、まともな調査をしてもらえなかったのではないか」という声もある。
ただし、この事故を記憶している人はほとんどいないと思う。発生直後は大きなニュースになったとしても、そもそも漁船の事故はすぐに報道の量が減っていく。事故原因についても、「原因は波」と国が結論付けてしまえば、それに疑問を投げかけるメディアはない。
生存者の証言と報告書は完全に矛盾
そんな中、第58寿和丸の事故に注目し、3年以上の年月をかけて地道に取材し続けてきたジャーナリストがいる。東京在住の伊澤理江氏だ。生存者や船主はもちろん、運輸安全委員会の関係者、船舶や気象などの専門家・研究者を丹念に訪ね歩いた執念の取材は先ごろ、調査報道ノンフィクション『黒い海 船は突然、深海に消えた』(講談社)として刊行された。
その取材の過程で、伊澤氏は運輸安全委員会の事故調査という“迷路”に翻弄されることになる。
第58寿和丸の事故は2008年6月に発生し、調査報告書は2011年4月に公表された。先述したように3年近くもの年月を要したうえ、東日本大震災の直後とあってまったくといっていいほどニュースにならなかった。
伊澤氏によると、報告書の最大の矛盾は「大量の油」である。事故後、現場海域には生存者や僚船の乗組員らが「真っ黒だった」と表現するほどの油が浮遊していた。第58寿和丸から漏れ出た燃料のA重油である。生存者は油の海を泳ぎ、全身が真っ黒になった。誰かを引っ張り上げようとすると、ヌルヌルで滑って手をつかめない。
伊澤氏は次のように言う。
「生存者らは、ドロドロの油の海を泳いで、命からがら助かりました。ところが、運輸安全委員会が出した結論は、漏れた油は約15~23リットルだったというのです。一斗缶1個分です。そんな少量では『真っ黒い油の海』は出現しません。そもそも1~2分で転覆し、沈没した場合、証言にあるような大量の油は流出しません。船体が損傷しない限りは」
「真っ黒な油の海。生存者らが口をそろえるその状況は、運輸安全委員会の報告書と完全に矛盾しています。しかも報告書の言うとおりの量だと、生存者が体験した状況はどうしてもつくり出せません。油防除で日本屈指の専門家は『運輸安全委員会の報告書は「kl」の「k」がミスで抜けてるんじゃないの?』とまで言っています。それほど不合理な報告書なのです」
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