東急役員が解説「東急沿線」"2023年住みやすい街" 蒲田、新綱島、鷺沼――いい所悪い所すべて検証

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東急線
いま東急沿線の各駅・街でダイナミックな変化が起きている(写真:tarousite/PIXTA)
今年、引っ越しを考えている方は、どの街に住みたいと考えていらっしゃいますか?
2022年、設立から100周年を迎えた東急株式会社。この100年で私鉄ビジネスは大きな変遷を経てきました。特にこの数年は、沿線人口の高齢化や若年層の都市部志向、新型コロナウイルスのパンデミックによって、改めて街や鉄道のあり方が問われています。
東急株式会社常務執行役員の東浦亮典氏が、まちづくりデベロッパーとしての視点から「本当に住みやすい街」について、いい所も悪い所もすべて解説します。本記事は、東浦氏の著書『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』より一部抜粋・編集してお届けします。

「100年に一度の再開発」がまだまだ続く渋谷の街、鉄道ネットワークの拡大により変貌する街、コロナ禍によって再評価される街。東急沿線においても、この5年ほどで随分と様相が変わった街があります。東急沿線の変貌する街を少しみてみましょう。

今後、どのような都市計画があるのかに注目

東急線屈指のアクセスのよさ「新綱島」

まずは、2023年3月18日に新規開業する「東急新横浜線」の新駅、「新綱島駅」です。

東横線「綱島駅」とは目と鼻の先です。現在、新綱島駅周辺では、土地区画整理事業と市街地再開発事業が一体的に施工されており、駅直結の地上29階建てのタワーマンションのほか、商業施設と区民文化センターができる予定です。さらに都心方面だけでなく、横浜にも新横浜にも出やすい非常に便利な街に変身します。

綱島は、大正時代に地元の人が井戸を掘ったところ、赤い水が出てきたので、専門家に調べてもらったら、それが「ラジウム温泉」だということが分かり、それがきっかけで温泉旅館などが栄えました。

東京横浜電鉄(現在の東横線)も開業当初は「綱島温泉駅」と表記されており(1944年に綱島駅に変更)、戦前、戦後は「東京の奥座敷」と呼ばれ、東京の人がちょっとした観光気分を味わえる場所でした。

1960年代の最盛期には、約80軒もの温泉旅館があったというから驚きですし、かつては三味線の音色が聴こえ、着物の女性が闊歩する「ミニ京都」のような雰囲気だったといいます。

1927年からは東京横浜電鉄も直営の「綱島温泉浴場」を運営していました。目黒蒲田電鉄がつくった「温泉遊園地多摩川園」に倣って、綱島に温泉遊園地をつくる計画もあったようですが、資金不足で断念したようです。1964年に東海道新幹線が開通すると、熱海や箱根、伊豆方面にも日帰りで行けるようになり、綱島温泉は廃れていき、観光目的の温泉旅館は1994年には全て廃業しました。

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