これはなにも、私が無理やり考え出したオリジナルのものではありません。拙著『がんばらない敬語』でも詳しく解説していますが、平成7(1995)年に行われた第20回国語審議会の報告で敬語について「親疎の関係の重視」として、
『様々な上下関係による敬語の使い分けが弱まり、代わって相互の親疎の関係に基づいた敬語使用(部外者や初対面の人に対しては,仲間内や親しい人よりも丁寧に、など)が重視されるようになった』
と、明記されているのです。
少し説明を加えましょう。
「上下関係」を基準としたときに、必ず敬語で話す必要がある関係の人を思い浮かべてください。たとえば、学生にとっての先生や先輩、職場の上司、取引先の担当者、などなど。おそらく、最初は敬語で話しかけていたはずです。というか、敬語で話すのが当然という関係ですよね。
親しくなれば自然と言葉遣いは崩れる
でも、だんだんと親しさを感じるような距離感にかわっていったら、どうでしょうか。親しくなっても絶対に敬語を崩さず使い続ける、という人は、ほとんどいないのではないでしょうか。親しくなればなるほど言葉遣いは次第に崩れ、敬語よりもカジュアルな表現による会話が増えてくるのは、自然なことです。ちょっと崩したくらいの言葉遣いになったときには、上下関係や主従関係よりも、同志や仲間としての意識のほうを強く感じる人もいるかもしれません。
現代において、親との会話はいつも敬語である、なんていう人は極めて珍しいでしょう。でも、例えば結婚の報告をするときなど改まった話をするときには、自然と言葉遣いが敬語になっているはずです。
逆に、本来ならばそれほど上下関係を意識しなくてもよい間柄であっても、親しくない人に対しては敬語で会話をするほうがしっくりくるのではないでしょうか。国語審議会の報告の文言にあるように「部外者や初対面の人」に対しては、尊敬語や謙譲語とまではいかないとしても、丁寧語を使って話をするのが自然だと感じませんか?
心理的な距離が遠い人には敬語をはじめとした丁寧な表現を使い、距離が近くなればなるほど敬語から離れていく。本田さんのように知らず知らずのうちに自然とそんな使い分けをしている人は少なくないでしょう。つまり、現代においての敬語は、「上下関係」よりも、相手との「距離感」を表す表現であることのほうが、実際には多いのです。
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