環境技術の提供から始まった、米国の政府渉外
桑島:私は常々、日本社会を変えていける唯一の存在は、民間の力、民間の企業だと思っています。そのためには企業が国に働きかける、ロビイングが不可欠です。
日本企業の国際競争力が低下していると言われる今、いい技術やいい製品さえ作ればそれでいい、というわけにはいきません。それこそ国際標準化であるとか、通商のルールメーキングのために、企業から各国政府に働きかけていくことが必要なのではないかと思っています。
その点、園田さんは米国のホンダで長らく政府渉外などに携わっていらっしゃいました。今回はぜひそのときのご経験をお伺いできればと思います。まずは園田さんがホンダに入社されてからの経歴を伺えますか。
園田:本田技研に入社以来、退職するまでの人生の中で、22年間、米国に駐在しました。最初はワシントンDC、次にデトロイト、そしてまたワシントンでした。ワシントンDCの事務所というのは、ホンダが米国の政府に環境技術を提供するための窓口として、1970年代に設立したものです。
桑島:なるほど。最初の目的は政府渉外ではなかったわけですか?
園田:いや、環境技術を提供するという意味での政府渉外でした。
1973年に石油ショックがあって、米国ではマスキー法というたいへん厳しい排気ガス規制ができた。それに対応できる企業はどこかと米国政府が問いかけたとき、ホンダは真っ先に手を挙げました。
そしてホンダはCVCCという低公害エンジンを造り、排ガス規制の基準を最初にクリアしました。それ以降は米国の環境省にコンスタントに情報を提供しなければいけないし、議会での証言もあるものですから、ワシントンに事務所を構えました。それに安全技術を提供する仕事も加わった。それが1970年代です。
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