「公園閉鎖問題」苦情住民だけが悪いと言えない訳 「騒音トラブル」に潜むいくつもの重要な問題点
今回の「青木島遊園地」の場合、近隣からの騒音苦情を受けて、市側は遊具を移設したり、出入り口の位置を変更したり、苦情者宅との距離をとるため遊園地の一部に植栽をしたりしましたが苦情は収まりませんでした。そして、最終的には遊園地の廃止を決めたのですが、これらはすべて防音対策であり、煩音対策ではありません。
遊園地が出来て18年が経ちますが、いまだに苦情者側の被害者意識が解消されていないことを考えれば、十分な煩音対策がなされてきたとはいえないのではないでしょうか。防音対策をやる場合でも、それは煩音対策のための防音対策でなくてはなりません。
騒音問題は「相手との人間関係」の問題
繰り返しになりますが、うるさいと思うかどうかは、その音にフラストレーションを感じるかどうかです。ロックコンサートでは100デシベルもの音が会場に響いていますが、誰もうるさいとは感じていません。フラストレーションの原因の多くは心の問題であり、相手との人間関係の問題です。当然、苦情者の数も多くはなく、個人的な苦情ですから個別対応が可能です。
フラストレーションのもととなっている相手の被害者意識をどうすれば解消できるか、そのことに注力すべきです。うるさく感じさせないための対応が求められるのですが、現実には最も簡易な防音対策として、取りあえず原因となる音を止めてしまうという対応がなされ、その風潮が社会的に定着してきているように感じるのです。
騒音問題の解決には、「節度と寛容とコミュニケーション」が必要というのが筆者の持論です。「音を出す側の節度」と「聞かされる側の寛容」、そして、それをお互いが感じ取れるコミュニケーションが必要です。しかし現実には、音を出す側は相手を「不寛容だ」と非難し、聞かされる側は「迷惑騒音だ」と節度のなさをののしり、相手の悪意を感じ取るだけのコミュニケーションしか存在しないという真逆の状況が蔓延しています。
トラブルの渦中にある人は、もう一度、冷静に問題を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
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