「鉄道と美術」はそこはかとなく相性がいい理由 鉄道は当世風俗を映し、人々の心を支えてきた
時代が大正・昭和に進んでも、鉄道は当世の風俗を見せる題材になり続ける。石井鶴三や木村荘八が描いたモチーフは、乗っているあるいは乗り降りするために駅に集まった人々の姿だ。油彩画の技法で写実の可能性を追求していた画家たちは、世の中を象徴するシーンを切り取るような意図を持って制作に取り組んでいたのではなかろうか。
特に興味深いのは、石井鶴三が、昭和初期にすでに「電車」を描いていたことだ。しかも、つり革につかまって電車に乗る、現代と変わらない風景がそこにある。
蒸気機関車が長らく地域に密着していた例を示すのは、山本作兵衛が描いた福岡県の筑豊地方である。実は、福岡県で育った筆者は小学生の頃に家族と筑豊本線に乗っていて、線路がカーブするところで車両の先頭を窓から見た時に蒸気機関車が牽引しているのを「発見」し、はしゃいだことがあった。その頃すでに、蒸気機関車は珍しい存在だったが、今のような観光目的ではなく、まだ実用的な機関車として使われていたのだ。
振り返ってみると、山本が描いたのとあまり変わらない時代の思い出である。筑豊本線は、その頃まで長らく日本のエネルギー源の役割を果たしていた筑豊炭田を北九州市の若松港と結んでいた重要な鉄道であり、炭鉱をテーマにした絵を多く描いた山本にとっては、筑豊地域を表現する重要なモチーフだったのだろう。
一方、画家の中村宏は、自ら描いた《ブーツと汽車》という絵に関して、「汽車は時代遅れの乗り物」との言葉を残している(『朝日ジャーナル』1967年12月3日号に収録)。鉄道の電化、ディーゼル化が進む中で、あえて「時代遅れ」の乗り物をモチーフにしたのだ。ここにはむしろ「時代遅れで何が悪い」という気概を感じる。
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