福岡「暴力団本部の跡地」で牧師が挑む"街の再生" 福祉施設をつくる「希望のまちプロジェクト」

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希望のまちの建設予定地でイベントを開催。孤立する人がいないまち、お互い様のまちを目指す(写真提供:抱樸)

「修羅のまち」が「希望のまち」に生まれ変わろうとしている――。

特定危険指定暴力団・工藤会が拠点を置き、「修羅のまち」と揶揄される福岡県北九州市。市民を狙った凶悪犯罪が相次いだが、2020年に本部事務所が解体され、組員は300人以下に減ったという。

その本部事務所の跡地を買い取り、子どもからお年寄りまで対象にした福祉施設をつくる「希望のまちプロジェクト」が進んでいる。仕掛け人は牧師であり、認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長の奥田知志さんだ。

抱樸は1988年から北九州を拠点に、生活困窮者の支援を行ってきた。ホームレスへの炊き出しから始まり、「断らない」「ひとりにしない」を基本姿勢として、今では27の事業を展開。

奥田さん自身は18歳からホームレスの支援活動を始めて、40年以上が経った。「いやあ、自分が牧師になるなんて、ましてやホームレス支援を長く続けるなんて、思ってもなかったですよ」とあっけらかんと笑う。

日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の牧師であり、認定NPO法人抱樸の理事長も務める奥田さん。「抱樸」は、山から切り出された原木をそのまま抱き止めるという意味がある(撮影:佐々木恵美)

日雇い労働者を目の当たりに

奥田さんは1963年、滋賀県生まれ。父親は大手電気工事会社に勤務し、高度経済成長と大阪万博景気の真っただ中、サッカー部で汗を流し何不自由なく育った。先生になりたくて国立大の教育学部を志望したものの、受かったのは関西学院大学の神学部のみ。中学2年でクリスチャンになっていたこともあり、ひとまず進学を決めた。

入学してすぐ、先輩に連れられて大阪の釜ヶ崎へ。そこで大きなショックを受けたという。当時、釜ヶ崎エリアには日雇労働者が3万人以上集まり、仕事にありつけず野宿する人も多数いた。万博景気で日本中から集まってきた人が失業し、行き場を失っていたのだ。

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