デニッシュ「実は広島生まれ」、意外な歴史の真実 欧州に学んだ男が立ち上げたアンデルセンの神髄

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戦後を生き抜いた、高木さんを支えた1冊がある。内村鑑三の『デンマルク国の話』だ。1868年、戦争に敗れたデンマークは南部の肥沃な土地を失うが、エンリコ・ダルガスによって、土地が耕され、復興を遂げた――。「国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります」(『デンマルク国の話』より)。高木さんはデンマークの精神を自分に重ねていた。

1951年に、高木さんは、株式会社タカキのパンを設立、1959年には「本物を知るために」と、お金を工面して欧米視察へ出た。ちなみに、1ドルが360円だった時代である。その旅程の最終日、デンマーク・コペンハーゲンのホテル・ヨーロッパの朝食で、高木さんは運命のパンに出会う。ウィーンで生まれ、デンマークで広がったとされる「ヴィエナブロー」と呼ばれるタイプのパンだった。

こんな美味しいパンが世の中にあったのか。この味をなんとしても日本のお客様に届けたい――衝撃を受けた高木さんはすぐに日本へ電報を打ち、製造担当者にその特徴を伝え、開発を指示したという。

1959年、欧米視察時の高木俊介さん
1959年、欧米視察時の高木俊介さん(画像:アンデルセングループ)

デニッシュがデビュー

帰国後は開発に取り組み、試行錯誤の末、3年がかりでパンが完成。デンマークにちなんで「デニッシュペストリー」と名付けられた。

株式会社タカキベーカリーが1962年に出稿した広告
1962年の広告。社名は同年、株式会社タカキベーカリーとなった(画像:アンデルセングループ)

1962年の発売当初、売り上げはふるわなかったが、「必ず看板商品に育てる」という熱意のもと、デンマーク王室御用達のベーカリーから職人を呼ぶなどして技術を学び、デニッシュペストリーの味は年々進化していった。

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