57歳で急逝「青山真治監督」ゆかりの人が語る素顔 とよた真帆、宮崎あおいなどが素顔を明かす
コロナ禍の中、師とあおぐ澤井信一郎監督をはじめ、身近な人々の死や、自身の眼の手術など、数々の喪失の体験をした越川監督が、自分のもとを去り、どこかへ消えていった男の背中を感じながら、待ち続ける女性の心象風景を叙情的に描き出した作品となる。
青山監督と同級生
立教大学出身の越川監督は、青山監督と同級生。映画同好会で若き日々をともに過ごした同志ともいうべき存在となる。そして大学卒業後は助監督などを経て、映画会社スローラーナーを設立。2001年には青山監督が手がけたドキュメンタリー映画『路地へ 中上健次の残したフィルム』の製作・配給を担当した。
同作は、和歌山県新宮市出身の芥川賞作家・中上健次が、故郷の地区再開発事業により“路地”の解体が進む中で、その最後の光景を映し出した16ミリフィルムを軸に、紀州で生まれた若き映像作家・井土紀州が“路地”に向かうさまを重ね合わせた作品となる。当時のことを越川監督はこう振り返る。
「やはり青山にとっても、僕にとっても中上健次という小説家から受けた影響は大きかったと思うんですよ。青山の映画でも『サッド ヴァケイション』(2007)なんかは中上健次ですよね。もちろん僕には僕でそういう影響はある。そういう時代だったんですよね」
「だから青山の(映画監督としてのデビュー作となった)『Helpless』を観た時に、同級生の映画があると感じたんです。それは同じ先生に教わって、ある一時期の同じ空気を吸っていたということだと思うんですが。
それを明確に感じるのは青山の映画だけなんですよ。もちろんその後も、いい作品、そうでない作品とありましたけど、その思いは亡くなるまで変わらなかった。僕にとって同級生の映画というのは青山真治の映画であり、他の人に感じないものですね。それだけある時代というかある時期、ある場所の空気みたいなものをお互いに共有していたような気がします」
越川監督が青山監督の訃報を聞いたのは、『背中』の仕上げ最中だったという。
「これは同級生ということで許していただきたいんですが、(多くの青山作品の録音を担当した)菊池信之さんから電話があった時、僕は悲しいというよりも、烈火のごとく怒ってしまったんです」
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