ニュートンも大損!「世界3大バブル」狂気の実態 株価が上昇している時こそ過去の事例を学ぼう

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この時期、南海会社の成功を見た、実態のない会社が無許可で乱立していました。設立された会社の数は190社、1年後に生き残っていたのはわずか4社のみというありさまでした。このように設立された企業が泡のように消えていったことから泡沫企業と呼ばれ、「バブル」の語源となっています。

さて、南海泡沫事件の顛末です。南海会社の株価は1720年の1月に100ポンド強だった、6月下旬には最高値の1050ポンドをつけることになります。しかし、実態を伴わない企業の株価はピークアウトしてからわずか半年後の12月には200ポンドを割るところまで下落し、その後も株価は下落し続けることとなりました。図3の株価チャートを見ても分かるように、振り返れば典型的なバブルだったのです。

(図3:南海会社の株価推移/出所:ウィキのパブリックドメイン)

南海泡沫事件では、万有引力の法則で有名なアイザック・ニュートンも大損しています。比較的早い段階で投資していたニュートンは株価上昇局面で売却し7000ポンドの利益を得ますが、その後の株価上昇を見て、さらに株価が上昇するだろうと高値で買い戻してしまいます。結果的にその後の暴落で2万ポンドを失うことになりました。この天才は次のような言葉を残しています。

「私は天体の動きは計算できるが、人々の狂気までは計算できなかった」

実態の伴わない会社に投資して大損「ミシシッピ計画」

18世紀初頭、財政難に苦しんでいたフランスは、政府負債を国策企業であるミシシッピ会社に肩代わりさせることで削減しようともくろみます。このミシシッピ会社は、フランス領ルイジアナ植民地など、ミシシッピ川の流域における北アメリカのフランス植民地との貿易により利益を上げていくとされていましたが、実態を伴わないペーパーカンパニーでした。

政府負債の債権者達が、国債でミシシッピ株を買うことにより、国債は回収されていきます。債権者たちは国債を手放す代わりにミシシッピ会社の株式を保有して株主になるのです。

ミシシッピ株は大人気で強い需要がありました。その需要に応えるために、さらに多くの株式が発行されていきます。結果的に1719年に500リーブルだった株価は1万リーブルまで暴騰します。1720年には政府の全債務はミシシッピ会社へ移りもくろみは成功します。

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