「ウマ娘」作曲家逮捕で楽曲の取り扱いが難しい訳 「作者と作品は別物」として使い続けられるのか
東京五輪では、多くのキーパーソンの「不祥事」が暴かれ、バッシングされ、辞任に追い込まれた。開会式で楽曲の作曲を担当することになっていた音楽家の小山田圭吾氏も例外ではなかった。小山田氏が過去に同級生や障害者に対するいじめを行っており、そのことを雑誌で発言していたことが問題視されたのが辞任の理由だった。
同じ東京五輪の開会式の楽曲提供者で、まったく別の処遇を受けた作曲家もいる。行進曲に使われた、『ドラゴンクエスト』の「序章:ロトのテーマ」を作曲した、すぎやまこういち氏だ。過去にLGBTQ関連はじめ、差別的な発言、歴史修正主義的な発言を数多く行ってきたことが指摘され、ネット上では五輪で楽曲を採用することの是非について議論が巻き起ったが、批判は限定的なものに留まり、最終的に楽曲は使用されている。
同じ作曲家でありながら、処遇が異なるのはなぜだろうか?
もちろん、行った行為の深刻さの違いは大きいが、東京五輪における役割の違いも大きい。小山田氏は、開会式の作曲担当として要職に抜擢されており、まさにプロジェクトも進行中の最中のことだった。一方で、すぎやま氏の場合は、過去の楽曲を提供したということに留まっている。
世論の動向としては、「(単なる)楽曲提供者に対して、責任を問う必要もないし、楽曲を取り下げる必要もない」という意見が主流だったように見える。
『アイカツ』や『ウマ娘』はどうなる?
本題である、田中秀和氏の作品の今後の取り扱いに話を戻そう。
東京五輪のケースから考えると、一見「楽曲を使い続ける」という選択肢もありそうに見える。大人気の作品の楽曲使用を取りやめるとなると、影響も大きくなることが予想される。
「穏便に済ませるならこのまま行きたい」と思うのも無理はない。
しかしながら、今回の田中氏の行為は、明確に被害者がいるうえに、刑法に抵触する行為であり、逮捕までされている。しかも過去に起こした不祥事が蒸し返されたわけでなく、問われているのはリアルタイムで起こした事件である。
さらに、性加害に対する社会的圧力は年々強まっており、加害者は厳しい社会的制裁を受けるのが一般的である。
田中氏が楽曲を提供している作品は、未成年の少女を題材しているもの、未成年が視聴、プレイしているものも多い。
今回に関しては、さすがに「作者と作品は別物」として楽曲を使い続けることには無理があるように思える。
現時点では「容疑」という状況であり、推定無罪の原則があるとして各社が判断を保留するのは妥当ではあるが、詳しい状況が判明した暁には、意思決定を行う必要がある。
これから、楽曲の提供を受けている各社は難しい対応を求められることになる。
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