なぜか心霊スポット化「北条滅亡の地」何がある? 約870人が自害したとされる「腹切りやぐら」の今

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三浦氏のやぐら
三浦氏のやぐら(筆者撮影)

私は三浦一族が供養されているやぐらにもお参りしてきたのですが、お花やペットボトル(お水)がたくさんお供えされていました。洞穴の辺りは草で覆われてますし、やぐら自体が森のなかにあります。早朝に訪れたことや、曇り空だったこともあり、あたりは薄暗く、寂しい雰囲気でした。

三浦一族のやぐらのそばにあるのが、北条義時が祀られていた義時法華堂の跡だったのです(やぐら前面の平場が、北条義時の法華堂跡)。

北条義時の法華堂跡
北条義時の法華堂跡(筆者撮影)

義時の子孫(時頼)が、三浦氏を滅ぼしたことを思うと、何とも言えない気持ちになります。

三浦光村が自らの顔を削ったワケ

三浦一族自害の様子は『吾妻鏡』に詳細に記されています。三浦泰村・光村(泰村の弟)、その他、三浦氏に加勢した面々が追い詰められて、法華堂の頼朝の肖像画の前に並ぶ。皆、浄土へ行けるようにと念仏を唱え始めます。三浦一族が自害する様子を天井から見ている者がいました。法華堂の雑務を務めていた承仕法師です。

すべての者の会話は当然聞き取れませんが、三浦光村の言動を承仕は後に証言しています。それによると光村は「長く、三浦一族滅亡の恨みを残してやろう」と語ると、刀で自らの顔を削り始めたのです。飛び散った血が頼朝の画像を朱に染めていきます。

「私だとわかるか?」

光村は周りの者にそう尋ねていたそうです。光村は刀で顔を傷付け、死後、敵方に自分だとわからないように仕組んだのでした。「長く、三浦一族滅亡の恨みを残してやろう」。光村は恨みを残して死んでいったのでしょう。

鎌倉にはそうした栄枯盛衰の歴史も刻まれています。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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