半世紀「猪木」を撮影したカメラマンが目撃した物 新日本プロレス旗揚げ直後に薄暗い体育館で激写

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新日本プロレスの旗揚げシリーズでタッグを組んだアントニオ猪木と豊登(写真:©Essei Hara)
10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。猪木さんを50年間撮り続けたカメラマン・原悦生さんの著書『「猪木」』から一部抜粋し、テレビ中継がなかった新日本プロレス旗揚げ当時の様子をお届けします。

私が猪木を最初に撮ったのは16歳、茨城県立土浦第一高等学校1年生の時の春休みのことだ。

日本プロレスから除名処分を受け、新日本プロレスを旗揚げした猪木が水戸市に来たのは1972年3月23日、『旗上げオープニング・シリーズ』の8戦目。会場は茨城県立スポーツセンターだった。

現在のつくば市内に住んでいた私は自宅近くから通学でも使っていた関東鉄道筑波線のディーゼルカーで土浦駅まで向かい、常磐線に乗って水戸の一つ手前、赤塚という駅で降りた。普通列車で1時間くらいかかったが、赤塚駅からだと体育館には歩いて行ける。

体育館に着くと、まずは一緒に行った友達と窓口で切符を購入した。大会当日だったが、係の人に「前売りの値段でいいよ」と言われ、1500円くらい払った記憶がある。

この日、私はリングサイドから試合を撮影するつもりで、カメラを持参し会場へ向かった。2階席だとリングサイドに行けないので、1階席の後ろの方の席を買ったのだ。

プロレスの試合を撮るのは、初めての経験だった。会場の照明がどうなっているかわからなかったが、屋内なのでそれほど明るいわけではないだろう。そう考えて、少し暗いところでも撮影ができる36枚撮りの高感度フィルムを2本用意していた。

素人が勝手にリングサイドに入って、試合を撮影する。しかも、私はまだ高校1年生だ。あまりにも大胆な行為に映るかもしれないが、後の猪木のフレーズを借りれば、私自身は「行けば、わかるさ」という感じで深く考えてはいなかった。

もしリングサイドに入れなくても、状況によっては花道に出て写真を撮れるだろう。花道には障害物がないので、客席から撮るよりは断然いい。誰かに注意されたら、カメラを仕舞えばいいだけだ。

誰にも許可を取らずリングサイドに侵入

300円で買った白地にライオンマークが描かれている表紙のパンフレットには、青インクで当日のカードが載っていた。押されたスタンプでは第1試合が藤波辰巳vs関川哲夫になっていたが、実際に行われたのは藤波と浜田広秋のシングルマッチだった。

ご存じの方も多いだろうが、関川は後のミスター・ポーゴ、浜田はグラン浜田である。この日は、山本小鉄や関川らが出場したバトルロイヤルも行われた。今になって思えば、デビュー直後の浜田やポーゴの試合を生で見られたのはラッキーだったかもしれない。

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