近代日本が世界で覇権を握れなかった残念な理由 金融立国化できなかった「後発工業化国」の宿命
明治日本は、繊維産業により産業革命に成功した。しかしそれは、日本の産業革命が欧米より遅れ、欧米の先進国では生糸や綿糸が重要ではなくなり、天然繊維を用いた工業にそこまで力を入れていなかったからこそ生じた現象でもあった。このことが意味することとは何か。
このたび『手数料と物流の経済全史』を上梓した経済史家の玉木俊明氏が読み解く。
日本の産業革命とは?
経済学の通説では、遅れて工業化した国は、政府がリーダーシップを握り、経済を発展させる。これは、ロシア生まれのアメリカの経済学者ガーシェンクロンが主張したことであり、一般にはガーシェンクロンモデルといわれる。
後発国は、最初から最新式の機械を導入することで、急激な経済成長を可能にする。この点に関連して、殖産興業という言葉がある。殖産興業とは、明治政府が、欧米と比較した産業の遅れを取り戻そうとして、欧米の先進的な産業・技術を導入して、政府による発展を意図した政策であった。日本の産業革命を成功させたもっとも重要な産業は、繊維産業であった。
産業革命には、多額の費用がかかる。それを少しでも減らそうとすると、まず軽工業による産業革命をめざすほかない。そのなかでも日本が着目したのは繊維工業であった。群馬県にある有名な富岡製糸場は、生糸を生産していた。富岡市には生糸の原料となる繭がつくられており、ここで好立地を生かして製糸業が発展した。
また、生糸についで日本の重要な輸出品となったのは綿糸であった。
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