説明が必要だろう。というのも、大塚家具がこの”大塚販売方式”をとる前は、家具小売店では、あくまでメーカー希望小売価格を表示するのが慣例だった。値崩れを異常なほど嫌っていた家具メーカーや家具卸業者は、小売店に対して希望小売価格の表示を求め、小売店は実際そこから大幅な値引きによって販売していた。
その常識に異を唱えたのが勝久氏。値札価格イコールそれ以上値引きなしの販売価格、とした。これは販売時の効率化を狙う目的もあった。販売時に交渉を重ねるよりも、当初からギリギリの価格を提示するほうが真摯な態度だと勝久氏は考えたのだ。加えて、同一品の業界最安値をアピールできるメリットもあった。
会員制度の「本質」は囲い込みではない
家具業界からの反発はあまりに大きかった。そのため勝久社長はお客の会員制度を作った。「会員限定で価格を示す」。その苦肉の策が、広く知られる大塚家具の会員制ビジネスモデルであり、同社の快進撃のキッカケともなった。当時はそれでも業界からの反発はおさまらず、納入拒否されたケースもあったため、社長みずからいくつかのメーカーとは総代理店契約までを結んでいる。
ただ、この会員制度によって、お客に店員が一人つくスタイルがより進化するものとなった。なお一部に誤解されているが、このスタイルは1969年の創業から変わらない。会員制が導入されたのは1993年のIDC大塚家具からにすぎない。
会員制度によって社員はお客の個人情報を把握したうえで、商品ではなくライフスタイルの提案へと舵を切った。提案力を磨く好機になったのは間違いなく、接客サービスレベルが向上したのも間違いない。実際、同社はレベル向上に努め、その様子はたびたび雑誌などにも取り上げられていたほどだ。接客は競合他店との差別化ではあきたらず、小売業他社にも学んだ。社員の接客サービス研修では、名門ゴルフコースで学んだり、最高級の老舗料亭で学んだりした。
大塚家具の減速の理由は何か
そんな大塚家具が減速し、今回のお家騒動に発展した理由は何か。3つ挙げたい。
1つめは、まとめ買い需要の減少にある。平均接客時間が2時間を超え、さらに平均客単価が30万円を超えるとされていたビジネスモデルだった。しかし、1990年台中盤のピークに年間約160万戸もあった住宅着工戸数は、近年100万戸を大きく割り込んでいる。この落ち込みは尋常ではない。家具市場は<住宅という箱の「備品」としてのインテリア>から<衣食とともに、「ライフスタイル」を構成する要素としてのインテリア>かつ<より自分らしいライフスタイルに向けて、少しずつ買い足すもの>に変遷(大塚家具資料より)。大塚家具は、まさにその変化への追従が遅れた。
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