120カ国超訪れてたどり着いた「世界最高の宿」 写真で見る「スリランカ『バワ』建築を訪ねて」

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バワは1919年に、イギリスの植民地であったセイロン(現在のスリランカ)のコロンボで、イギリス・ドイツ・スコットランド・シンハラ人の血を引く、裕福な家庭に生まれた。その後、ケンブリッジ大学で英文学を学び、卒業後、弁護士としての道を歩み始めた。

やがて建築に魅せられるようになり、1年半という長い世界放浪ののち、ルヌガンガに理想の別荘をつくろうとした。ところが、自分の建築に関する知識が不足していることに気づき、再び渡英して建築を学ぶことになった。

彼が建築家としてスタートしたのは38歳のとき。その後、2003年に84歳で他界するまでに、スリランカの国会議事堂やリゾートホテルなどを手がけた。だが、バナキュラー(土着的)な建築家としてバワの名が世界中に知られるようになったのは彼が晩年になってからのことだった。時代がバワの感性にようやく追いついたといえるのかもしれない。

水平線とプールの水面が溶け合うインフィニティプール。いまでは世界中のホテルやリゾートで目にするようになったが、世界初のインフィニティプールは、バワが手がけたヘリタンスアフンガッラ(スリランカ南西海岸・1981年開業)といわれている。

客室は6部屋のみ

ルヌガンガは、コロンボから60kmほど南にむかったベントタに位置している。ベントタはビーチリゾートとして知られているが、ルヌガンガは海沿いではなく、やや内陸部に入った湖畔を見下ろす丘にたたずんでいる。

オランダ統治時代はシナモン農園、イギリス統治時代はゴム農園だったこの土地を、バワは1948年に購入。コロンボに拠点をおいたバワが週末に訪れる別荘として建てられた。

ルヌガンガはバワの没後、バワ財団の管理下で、敷地内のガイドツアーや宿泊が可能となった。バワが手がけた建築はホテルをはじめ、スリランカに多く残る。

だが、ルヌガンガはバワが自分自身のために建て、半世紀にわたって手を入れ続けた、きわめて個人的な色彩の強い別荘である。商業用の施設であるホテルという制約を外し、ひたすら自分の理念と感性にしたがってつくりあげた空間といえる。

ルヌガンガのラウンジ
ラウンジでパイナップルジュースを。アルコールはリクエストするとスタッフが購入してくれる(筆者撮影)

敷地6.1haに客室は6部屋のみ。敷地内に点在する部屋は一つひとつデザインが異なり、好みに応じて選ぶことができる。部屋におかれた椅子はいずれも非常に大きい。バワは身長が190㎝ほどもある大男だったので、それにあわせたのだという。

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