ウクライナ戦争が古典的な戦いになった3つの訳 テクノロジー、非軍事手段、戦争様態から考える

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ただ、開戦後半年以上を経ても、双方は依然として決定的な勝利を得ることができておらず、総延長2500kmに及ぶ戦線もまた顕著な変動を見せてはいない。その結果として出現したのは、長大な戦線を挟んで双方が消耗戦を繰り広げるという、第1次世界大戦の縮小版のような事態である。この間、ロシア側では7万~8万人の兵員が死傷したほか、1000両以上の戦車が破壊されたとされ、ウクライナ側の損害もおそらくはこれと同等か、それ以上であろう。

それでも戦争が継続できているのは、ロシア側が膨大な予備兵器を保有し、ウクライナ側は総動員による兵員の補充能力と西側からの軍事援助を得られているからにほかならない。

まとめるならば、ウクライナ戦争では兵力や火力、それらの補充能力といった古典的な要因が戦況を左右しているのであり、テクノロジーや非軍事手段・非国家主体という要素は(戦争の性質というマクロな視点に立つ限り)その従属変数と見たほうがよい、ということである。

「新しい戦争」とはならなかった

では、ウクライナ戦争はなぜ、古典的な戦争になったのだろうか。

革新的な軍事テクノロジーによって兵力や火力の多寡に関わらず勝敗が決まる戦争というビジョン、あるいは非軍事手段によって敵国を内部から瓦解させる戦争というビジョンは、古くから存在してきた。この点はロシアにおいても例外ではなく、参謀本部内では多くの「新しい戦争」のあり方が論じられてきた。

にもかかわらず、戦争の様相が古典的なものになった要因は3つ挙げられる。

第1に、2014年の戦争でロシアが用いた非軍事手段は、必ずしも期待通りの成果をもたらさなかった。元々ロシア系住民が多いクリミアやドンバスの一部地域を除いて住民の認識操作は成功せず、多くの地域はウクライナ政府の統治下に残ることを選んだのである。大規模な正規軍による侵攻という方法が選ばれたのは、これに対する反省であったのだろう。

第2に、ウクライナの抗戦意志の強固さが挙げられる。開戦後、ゼレンスキー大統領は首都に踏みとどまってロシアへの抵抗を呼びかけ、国民も概ねこれを支持した。この結果、ロシア軍は短期間で首都を占領してウクライナの国家体制を瓦解させることができず、その間に西側からの大規模軍事援助が始まったため、早期の勝利はより困難になった。

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