工事量を確保するために不動産開発を手がけてきたゼネコン。大手ゼネコンが不動産事業にのめり込み、巨額の不良債権を抱えた「ゼネコン危機」を経て、不動産開発の焦点はどう移ってきているのか。
1997年に表面化したゼネコン危機は、80年代後半のバブル時代に、大手ゼネコンが不動産事業にのめり込んで巨額の不良債権を抱えたことを原因としていた。あれから今年でちょうど四半世紀。ゼネコン業界は何を学んだのか。
「この会社にはマーケティングの概念がないのか」――長谷工コーポレーションの経営再建のため、99年に建設省(現・国土交通省)から乗り込んで社長に就任した嵩聰久(だけとしひさ)氏は、周囲にそう嘆いたという。「当時は土地を入手したらマンションを建てることしか考えていなかった」と、長谷工の幹部は振り返る。
工事量の確保が最大目的
ゼネコンが不動産開発を手がけるのは、今に始まったことではない。
不動産開発を自ら手がける最大の理由は「工事量の確保」にある。労働集約型産業である建設産業にとって、施工能力を維持していくためには工事量を確保し、技術者や技能労働者に仕事を配分する必要があるからだ。
下図を見てほしい。国内建設投資額は戦後復興期から高度経済成長期にかけて右肩上がりに増えた。しかし、79年の第2次石油ショック後の景気後退で、建設需要が減少する「建設冬の時代」を経験。この頃、何とか工事量を確保しようと、土地を仕入れて企業に売り込み、自ら工事の注文を造り出す「造注」と称する不動産開発に乗り出した。そのタイミングで「バブル時代」が到来したのである。
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