姦通罪は、夫のいる女性がほかの男性と関係を持った場合に、その相手の男性とともに、適用されるものでした。強固な家制度を持つ父系制の戦前の日本社会では、妻の不倫は、父系の一族にとって何の血縁もない人間を養育する可能性を持つため、厳しく規制する必要がありました。処女性や貞操を女性にのみ強く要請する規範は、こうして説明できます。
「姦通罪」は明らかな性差別だった
一方で夫が妾を持つことは、一族の血統を確保する必要からも、大目に見られることとなりました。したがって旧刑法は、夫が配偶者のいない女性と性交渉を持った場合を犯罪としていません。しかも姦通罪は、妻を「奪われた」夫からの告訴を立件の前提としているので、これは妻の性を夫の所有物とする発想に基づくことになります。性的保守主義が父系制と結び付くことで、男女に対して異なる規範を適用していたのです。いわゆる二重基準、ダブルスタンダードです。
明らかに性差別的な規定なので、戦後、この条文が改められるわけですが、改正の方向として、実は2つの選択肢がありました。男女とも犯罪とするか、男女とも刑法の対象から外すか、です。日本は後者をとり、姦通罪自体を削除したのですが、それまで日本の植民地であった韓国と台湾では、男女ともに犯罪とする刑法の規定が導入され、今も条文として生きています。そしてこれには、男女の関係に国家が介入するものだとして、それぞれの社会で根強い批判があります。
「不倫=性差別」という感覚の誕生
そうした戦前の状況を背景として、「不倫=性差別」という感覚が生まれます。戦後になって普及する、恋愛結婚と結び付いた近代家族の一夫一婦制は、性を結婚の範囲内においてのみ認め、両性を拘束するという規範を伴うものでした。
この立場からは、犯罪とは別の次元で、従来の家制度で男性のみに認められていたような、婚外性交渉や買春は否定されるべきものとなります。
そうした家制度的な性規範に対する、男女平等の視点からの批判として、近代家族の浮気批判は確かに意味を持っていました。つまり男性のみに浮気を認めるような二重基準に対する批判として、「不倫=性差別」という批判が成り立ったのです。
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