儲かりたいなら「誠実になるしかない」必然的理由 アダム・スミス「資本主義のタテマエとホンネ」

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アダム・スミス:経済と道徳が遠い? うーん、不思議なことを言いますね……。まあ、私の時代から、その後現代に至るまでの社会の紆余曲折は、私への評判も含めて噂では耳にしていますので、もう慣れてはいますが、やはり私には大いに違和感があります。

私に言わせれば〝経済〞=豊かさへの道と〝道徳〞=倫理的な生き方への道は一致しうるのです。逆に言えば、真実で堅固な職業的能力が、賢明な、正しい、確固とした、節度のある行動と結び付けば、成功し損なうことはめったにないと言えるでしょう。

多くの中流、下流、要するにほとんどの人々の日常生活の枠組みでは、正直、誠実、マジメが成功への近道なのです。というのも、多くの人の職業上の成功は、ほとんどつねに、隣人や同輩の好意や好評によっており、かなり規則的に行動しなければ、これらの商売の成功をもたらす評判はめったに得られないのですから。

つまり、商売の成功は一定程度の道徳を必要としますし、また、道徳的であれば結果的にそれは商売の成功につながりうるわけです。

とはいえ、商売に成功することを目的として道徳的であろうとする人物と、道徳そのものに目的をおいて道徳的である人物の間には、大きな差があるということも忘れてはいけませんけれどもね。

「分業」ではなく「労働の分割」が社会の秩序=道徳的なあり方も推進する?

アダム・スミス:みなさん、今一つ腑に落ちていないようですね。では今度は、経済活動の結果として道徳が守られる仕組みについて、考察してみましょう。

さまざまな生産物がどのように人々の手に届くのか? 商品がみなさんの手に渡ることで社会の秩序がどう維持されるのか? そもそものところを今一度、しっかり想像しながら考えてみてくださいね。

それにしても私自身も、私が生きていた時代からある意味不思議なことだと思っていたのですが、文明が進み繁栄している国々では、多くの人々がまったく働かなくても、働いている人々に比べて時には10倍もの、場合によっては100倍もの労働生産物を消費するようなことがありますよね。要するにいわゆるお金持ちの存在です。

それでもなお、その社会全体の労働によって生まれる生産物はとても豊かなので、すべての人々に対する供給も十分な場合が多く、最も貧しい階層の人々ですらも、倹約家で、勤勉な姿勢を維持しさえすれば、未開の地に暮らす人々が獲得できるよりも多くの生活必需品の分け前を享受できるはずなのですから。

次ページ確かに、文明社会には富の不平等が存在しがちだけれど…
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