「他人に敬意を払う」オーストラリアの同意の教育 相手に対する思いやりのある行動へとつながる
自分の身体に関することをネットに投稿したり、誰かに送るときも、同じことです。親密な行為にかかわることはすべて、あなたの許可が必要で、相手とどんな関係であっても、拒否する権利があります。
自分自身のことや、ほかの人を傷つけるようなことをしてしまいそうなとき、注意してくれる人がいます。それは理不尽なことではないし、だからといってその人に支配されているということでもありません。
それは、あなたの安全を心から気遣って言ってくれているのです。木から飛び降りようとしていたり、激しいダイエットをしていたり、運転中にスピードを出しすぎていたりなど、危険なことに夢中になっているときに、自分やほかの人を傷つけないでほしいという思いで、かかわってこようとするのです。
ときには法律が介入するようなこともあります。たとえば、パンデミックのときにはマスクをつけなければいけないとか(コロナ禍のオーストラリアでは感染状況によりマスク着用が義務化された州などがあり、違反者には罰金も課せられた)、殴ることは違法だ、というように、すべての人の行動に関する共通のルールがつくられることもあります。
同意する(しない)はほかの人にどう影響するか
また、よく考えないで行動してほかの人に迷惑をかけているときに、注意されることもあるでしょう。たとえば、ライブ中に跳ね回って、ほかの人にぶつかってしまったり、ケガを負ったりケガをさせてしまうかもしれないようなとき。または、ほかの人の邪魔になっているのに気がつかないで3列になって歩いているときに、「3列になって歩かないで!」と怒られることがあるかもしれません。
誰かに注意されたとおりにするのはイライラしたり、気分が悪くなることかもしれません。でも、立ちどまり、同意すること(しないこと)がほかの人にどう影響するかを考えたら、その要求が公平で妥当なものだと気づくでしょう。
(翻訳:北原みのり)
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