「貧しいのは努力が足りないから」なのか? 所得格差解消のカギは「善意」にある

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ジョナ・ウィットキャンパー氏(撮影:今井 康一)

――極論すれば、お金持ちの子どもの中には、何もしなくても食べていける人がいるのでは。

米国には「シャツを着られるのは3代まで」ということわざがあります。中国にも「田んぼを持っていられるのは3代まで」という、同じような言い回しがあるようです。つまり、どんな富裕層でも、何もせずに豊かに暮らせるのは子や孫の世代までで、それ以降は安穏としていられないということです。

確かに富裕層の子どもや孫は、資産がある家に生まれたわけですから、自分で苦労しておカネを稼ごうとしなくてもいいかもしれません。ただ、本当に何もしないと、孫世代までで資産を9割方食い潰してしまうこともあります。成功している富裕層は、子や孫に慈善活動をうながし、そこからインスピレーションを得て新たな事業を興しています。先に述べたロックフェラー一族はその好例です。

貧富は努力の問題ではない

――「お金持ちは努力してお金持ちになった。貧しいのは努力が足りないからだ」という意見もあります。

米国にも以前はそうした考え方がありました。たとえば「米国に住んでいる黒人は怠け者だ」という意見です。でも黒人の中には、奴隷制度の名残などもあり十分な教育を受ける機会に恵まれなかった人もいます。貧しい人々を「努力不足だ」とか、「きちんとした考え方を持っていないから成功しないんだ」と決め付けるのは、常にリスクを伴います。

「貧しいのは努力が足りないからだ」と決め付けて何も支援をしないと、貧困層の中にいるかもしれない新しいアインシュタインのような天才を、みすみす見逃してしまうことになります。これは将来のイノベーションにとって大きなリスクです。別に高級車を与えろと言っているわけではありません。きちんと教育が受けられる機会を与えるべきです。

日本でも「引きこもり」の問題がありますね。日本社会の中では「引きこもりは恥だ」という風潮が強いようですが、そういう人を排他的に扱うのではなく、社会に受け入れようという考え方に変われば、彼らが家から出てくるきっかけになるかもしれません。

週刊東洋経済2015年2月28日号の特集は『格差サバイバル術』です。成長しても格差は拡大する。ピケティ教授の言うとおりならば、その格差の渦にどうすれば飲み込まれないで済むのか。全54ページで追いました。購入はこちら

――日本でフィランソロピーの考え方を広めるには。

善意で人々に労力や金銭を施すということは、人々に幸福を与えるということです。人々が幸福になれば、そこから新しいインスピレーションが生まれる。これがイノベーションにつながります。

具体的なやり方としては、今、世界10か国以上で作られているような「ユースバンク」があります。政府や財団などが資金を提供してファンドを作り、若者たちの活動や事業に出資するものです。同時に、別の若者たちに評議会を作らせ「この事業には資金を提供しよう」「これはまだ不十分なので、提供はできない」といった意思決定をさせる仕組みです。貧しい若者でも志を持っていれば、ユースバンクから資金提供を受けられるようにするのです。日本もこうしたムーブメントを引っ張っていく一つの拠点になれると期待しています。

人々の中には、人生における最大の目的はできる限りおカネを稼ぐことだ、と考えている人もいるようですが、私に言わせれば、それは間違いです。人生において一番意味があることは、「自分の人生にどういう意味があるのか」を見いだしていくことです。

おカネを持っていると、人間はどうしても物質主義的になったり、傲慢になったりします。でも本当は、おカネを持っている人こそ寛容さを持ち、慈善活動に積極的になってもいいでしょう。私も日本の人々とかかわり、考え方の変革を進めていければ何よりだと思っています。

平松 さわみ 東洋経済 記者

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ひらまつ さわみ / Sawami Hiramatsu

週刊東洋経済編集部、市場経済部記者を経て、企業情報部記者

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