ATMや銀行から引き出される金額は(だいたいは)わかるが、そこで道は途絶えてしまう。その先を知りたければ、調査から推測するしかない。
なぜか? それは、ATMから引き出した20ドル札は、1回の支払いで使うこともできるし、1ドルの支払い20回に使うこともできるからだ。そして受け取り手(たち)はその20ドル札を銀行システムに戻すこともできるし、使うこともできる。
いずれにせよ、このような調査が説明できるのは物語の一部だけだ。というのも、現金通貨のほとんどは、実際には市場を流通してはいないからだ。
米ドル札の80%は百ドル札
現金の多くは、百ドル札や二百ユーロ札、五百ユーロ札のように、ATMで流通することがめったにないような紙幣なのである。
現金をめぐる謎のひとつは、その大部分が、一般市民が使うことも目にすることもほとんどないような高額紙幣で構成されているということだ。五百ユーロ札には「ビン・ ラディン」という呼び名さえついていた。その存在と姿形は皆が知っているものの、どこでお目にかかれるかは誰も知らなかったからである。
百ドル札は、流通しているすべての米ドル札1兆8000億ドル分のうちの80%を占めている。つまり、1ドル札ないし「バック」(雄鹿)に描かれているジョージ・ワシントンは、同じく建国の父であり、百ドル札に描かれているベンジャミン・フランクリンに惨敗していることになる。
これを成人人口および流通しているとわかっている紙幣の数と額面で分けて考えると、成人のアメリカ人1人につき、十ドル札はわずか7枚しかないが、百ドル札は55枚あるという計算になる。この分布は泥棒にずいぶんな儲けをもたらすはずだが、平均的なアメリカのスリの経験とは食い違うだろう。
アメリカの消費者が財布に入れて持ち歩いている額は、平均して75ドルにすぎないと調査からわかっている。ATMや銀行やレジにねむっている現金を考慮に入れたとしても、消息がつかめるのは流通している総量のほんの一部にすぎない。ここで疑問が生まれる──お金はどこに行ったのか?