サイダーの値段「ラムネの10倍だった」意外な歴史 中身の本質的な違いはなかったのに何故??

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ラムネは工場周辺にしか売れないので、どうしても人口密度の高い都市部でしか製造販売ができません。

一方、長期間保存/長距離輸送が可能なサイダーは、人口密度の低い地方農村にも売ることができました。

“ラムネの販路は瓶の回収の必要上その製造家の周囲に限られ、あまり地方農村には拡がらなかったが、サイダーは遠方への輸送もきき、高価のため主として上流家庭に飲用せられた。”(開国百年記念文化事業会編『明治文化史 第十二巻』)

作家の吉村昭によると、戦前の東京下町の中元や歳暮の定番の品は、砂糖、海苔、味噌漬、酒、サイダー、カルピスだったそうです(『東京の下町』)。

長期間保存/長距離輸送可能なサイダーは、贈答品に最適だったのです。サイダーの値段の高さは、贈答品の場合は欠点ではなく、プレミア感を増す長所となったのです。

高価だからプレミア感を味わえた

大正時代、三ツ矢シャンペンサイダーの帝国鉱泉株式会社はビール会社と合併します。三ツ矢サイダーは現在もアサヒグループホールディングス傘下のアサヒ飲料が販売しており、サイダーはビールビジネスとシナジー効果の高い飲料であったことがわかります。

なぜサイダーとビールはビジネス的に相性が良いのか。それはサイダーが開拓した新市場が、ビールと同じ宴席、酒席だったからです。

1893(明治26)年生まれの獅子文六の証言。
“しかし、サイダーは、今のジュースのように、たちまちハヤリモノになって、宴会なぞにも、ビールと列んで、必ず、顔を出す世の中となった。”(『好食つれづれ草』)

 

1903(明治36)年生まれのコメディアン古川緑波の証言。
”その頃、洋食屋でも、料理屋でも、酒の飲めない者には必ず「サイダーを」と言って、ポンと抜かれたものである。”(『ロッパ食談完全版』)

サイダーが開拓した最大の市場は、宴席、酒席におけるノンアルコールドリンクだったのです。

サイダーの登場までは、お酒が飲めない人は水やお茶を飲んでいました。宴会や食事会において、それはとても侘しいことだったと思います。

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