地方には地方の神話がある。現存している『風土記』は、ローカルな神話を伝えるとても貴重な資料だ。
出雲の地を訪れると、あちらこちらで「国引き」という名に出会う。松江市では「くにびき大橋」、島根県立産業交流会館は「くにびきメッセ」。この「国引き」とは、「出雲国風土記」に伝えられる「国引き神話」に由来する。『古事記』や『日本書紀』は伝えていない、出雲国の成り立ちを伝える神話である。
3度目の正直 美しい洞窟「加賀の潜戸」
その主人公はヤツカミヅオミツノ。出雲国を眺め、小さいと思い、国を縫い付けて大きくしようとした。とてもダイナミックな発想を持つ神である。
「出雲国風土記」では、地方神も多く登場する。その中のひとつが、佐太神社(さだじんじゃ)に祀られている佐太大神(さだのおおかみ)誕生の場面。
“支佐加比売命「闇き岩屋なるかも」と詔りたまいて、金弓もちて射給う時に、光加加明きき。かれ、加加という。
(キサカヒメが、暗い岩屋だとおっしゃって、金の弓で射たときに光り輝いた。そのため「かか」という。)“
佐太大神が誕生したとき、母神が暗い岩屋を金の弓で射たところ、輝いたので加賀と名付けられたという。女神が射通してできたという洞窟だ。「八雲」と出雲にゆかりの名を日本人名として選び、世界に出雲の魅力を伝えた小泉八雲(1850-1904)は、加賀の潜戸について「これほど美しい洞窟は、とうてい想像できない。
海もまた、偉大な建築家だぞと言わんばかりに、そこに畝や綾模様を作り、その巨大な作品に磨きをかけている」と感慨を述べた。この文章を読んでから、加賀の潜戸を訪れたいという気持ちが募っていったが、実現するまで3度の挑戦が必要だった。潜戸の観光遊覧船が出るのは3月から11月。それも天候が良いときに限られるからだ。挑戦した甲斐があった、と心から思える景色だった。
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