「カレー工場→バンド」障害者が見つけた居場所 「誰とも話さずカレー粉を詰める毎日はイヤだ」

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でも、親から「学校に行きなさい」って言われていたから、我慢して休まずに行きました。先生は気づいてくれなかったし、友達もいなかったから誰にも相談できなかった。中学校にあがるときに、「このまま普通学級に行ったらずっといじめられる」と思ったので、特別学級に行くことにしました。

――普通学級から特別学級に変更することで、学校生活に変化はありましたか。

友達もできた! 自分と同じような人が多かったから授業にもついていけたし、学校に行くのが一気に楽しくなりました。特別学級を卒業すると、作業所で働くか養護学校に行くか選べたので養護学校に入るって自分で決めました。

買い物するイノウエさん(写真:弁護士ドットコムニュース)

――養護学校を出てからの進路はどうやって決めましたか。

卒業後に作業所や工場で働くために、3年生になると実習が始まります。1回目の実習がカレーのスパイス工場でした。その体験がスーパー猛毒ちんどんの「カレー」っていう歌になっています。

――"俺は黙ってカレーを詰める 笑うことも忘れた 俺は仲間が仲間がほしい ふざけて笑える仲間が"という歌詞は、そのままイノウエさんの体験談だったんですね。

そうなんです! 働いているのは全員が健常者。障害者は僕だけ。ただ教えてもらうだけで、それ以外の会話はなにもない。仕事に行って、9時から17時までひたすらスパイスを箱に詰めて、誰とも話さずにただ帰る。健常者のみんなはわいわいして楽しそうなのに、自分だけ雑談もできなかった。

――誰とも話さない8時間というのは、すごく長い時間に感じたと思います。実習の様子は誰かに話したりしましたか。

先生にも親にも言えなかった。でも、当時は仕方ないって思ってたから。

自分も話をしていいんだと思った

――次の実習で「虹の会」に来てみて、雰囲気はどうでしたか。

カレー工場とは全然雰囲気が違ったんです。みんなが「どこから来たの?」とか「趣味はなに?」とか話しかけてくれたから、自分も話をしていいんだって思いました。ここなら通えるって思えました。

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