「カレー工場→バンド」障害者が見つけた居場所 「誰とも話さずカレー粉を詰める毎日はイヤだ」

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――そこから今の明るいキャラクターのイノウエさんにつながるんですね。

地域の人から物をあつめて、バザーを開いているうちに緊張もとけてきて、自分からもみんなに話しかけるようになった。最初は、どうやって話しかければいいのかわからなかったけど、みんなが話しかけてくれたのをまねしようって思ったらできたんです。今では相撲とかプロ野球とか趣味の話をして、野球観戦や音楽ライブに一緒に行ったりもします。

イノウエさん(右)(写真:弁護士ドットコムニュース)

――そこからスーパー猛毒ちんどんとして音楽活動が始まりますが、嫌な思い出だったカレー工場のことを歌いたいと思ったのはなぜでしょうか。

「虹の会」では、「これまでの経験で嫌だったことは?」とか「学校はどうだった?」とかたくさん質問をしてくれました。まず最初にカレー工場のことを思い出したんです。話しているうちに、すごく嫌だったのに当時はそれが当然だと思ってあきらめていたんだなって思った。これまでそんなことを聞いてくれる人はいなかった。その気持ちが音楽になってみんなの前で歌うのは楽しかったです。

――養護学校の友達と、それぞれ自分が通っている場所のお話はされますか。

前の自分と同じように誰とも話さないで、ただ決められたように通って毎日同じくり返しをしていると思う。当時の友達にも気づいてほしいって思ったし、「カレー」の歌を聴いてほしかった。だから、自分たちがワンマンライブをやるときに手紙を書いて友達が通っている団体に送ったんだけど、返事はなかったです。

でもね、自分もそうだったならわかるんだけど、孤独な毎日を嫌なことって感じないんだと思う。それが嫌なことなんだって思えるチャンスがない。だって楽しいことを知らないから。今はっきりわかるのは、誰とも話さずに、ずっとカレー粉を詰めて夕方に帰るだけの毎日はすごく嫌だった。

はじめて「打ち上げ」をした日

――ここで出会ったメンバーとはすぐ打ち解けましたか。

バザーのあとには必ず打ち上げがあって、そこでみんなと仲良くなっていきました。20歳になったときにはじめてお酒を飲んだのも「虹の会」のみんなと一緒でした。多くの障害者団体は、大人になってもお酒を飲んでみることはしないと思う。

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