「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか、ルッキズムを巻き込み沸騰

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今回の「見るハラ」論争の中で唯一、明確な答えを出せそうなのが、職場における「見るハラ」。給与を得るために働く職場では、個人の自由より会社の業績やグループの働きやすさが優先されます。職場が「互いの存在が特定されていて、人間関係が継続される空間」であることも含め、無用なセクハラトラブルを生まないためにも、露出の多い服を避けるルールを作るほうがいいでしょう。

近年では「立場が上がるほどセクハラに対してセンシティブになっている」という人も少なくないだけに、「どうしても露出の多い服を着たい」という人も、「通勤時だけに留める」などの歩み寄りが求められるところです。

「見る」「見られる」両方に必要なもの

今回の「見るハラ」をめぐる論争は、昭和・平成のころに多かったセクハラが大幅に減って、次の段階に進んでいることの証にも見えました。ネット上に「『服が好きだから見ただけ』ということも多いのに、生きづらい世の中になってしまったな」というコメントがありましたが、ここに他人の行動を制限することの難しさが表れています。

昭和・平成のセクハラは論外で罰するとして、では「見るハラ」はどうしていけばいいのか。

「めざまし8」で「見るハラ」の被害経験があるギャルタレント・あおちゃんぺさんは、「減らすために何が必要か?」と聞かれて、「見る側のモラルじゃないですかね」とコメント。さらに「チラッと見ちゃうのは反射だからしょうがないと思うんですけど。『これ以上見たら常識的に失礼だな』というくらいには見ないとか。でも着るほうは着たいものを着たいし、それって罪じゃないし」などと語りました。

ただこのコメントは「『見るハラ』の被害経験がある」という立場で話しているものにすぎず、モラルは見られる側にも必要ではないでしょうか。たとえば、「この街やこの店では露出を抑えめにする」「公共交通機関では隠すものをかける」などの配慮をする人が増えれば、見る側のモラルを変えていけるかもしれません。また、相手の外見や年齢を問わず「こういう人は性的な目で見る」というレッテルを貼らない心構えも必要でしょう。

もし「見るハラ」に罰則がつくようになったら、誰もが目線の置き場に困るような生きづらい世の中になってしまいます。そうならないためには「見る」「見られる」両側に、相手の心境を考える優しさが必要ではないでしょうか。

今後は、「見るハラ」の被害を受けた人が「どのように嫌だったか」を発信し、それを今回のように議論することで多くの人々に伝わり、「そういう人もいるなら気をつけよう」という気持ちにつながっていく。「見るハラ」は誰もが被害者にも加害者にもなりうる繊細なものだけに、時間をかけて不快になる人の数を少しずつ減らしていくしかないのです。

木村 隆志 コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

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きむら たかし / Takashi Kimura

テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。

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