「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか、ルッキズムを巻き込み沸騰
現在はその「見るハラ」VS「見せハラ」との論争に留まらず、さまざまな角度からの意見が飛び交っている状態。なかには近年、何かと物議を醸している「ルッキズム」が含まれ、複雑化しているところもあります。さまざまなハラスメント被害の声をあげやすくなった今、加害者にも被害者にもなりうる私たちは「見るハラ」とどう向き合っていけばよいのでしょうか。
誰もが被害者であり加害者でもある
前提としてあげておかなければいけないのは、「『見る』ことだけで人を処罰することはできない」こと。もちろん、過剰に接近してのぞき続けたり、つけまわしたりなどの行為は罪に問われる可能性があり論外ですが、被害者の声を見る限り、そこまでのケースは稀のようです。
元来「見る」という行為には、いくつかの種類があります。明確な目的を持って見ることもあれば、反射的に見ただけのものもありますし、「カッコイイ服だな」などの好意的なものも、「センス悪いな」などの悪意的なものもあるでしょう。もしくは、「ガン見されている」と感じたときも、その人は近視や老眼であまり見えていないかもしれません。
「見る」という行為にはこのようないくつかの種類があるため、「相手が意図していなくても、自分が不快と感じたらハラスメントになる」という基準に当てはめるのはリスキー。たとえば今回、「見るハラ」の被害を訴えた女性の中にも、自分が「見るハラ」の加害者にもなっている可能性は十分ありえます。
たとえばネット上に「イケメンを見ちゃうのは『見るハラ』?」「鍛えられた筋肉にはつい目が行ってしまう」などの声もありましたが、見られた男性たちの中には不快感を覚えた人がいるかもしれません。もともと「セクハラは男性が最も被害を訴えにくいハラスメント」とも言われていることもあり、もはや男女で分けて男性だけを叩く時代ではないでしょう。
「『見るハラ』を男女で分ける時代ではない」というもう1つの理由は、ルッキズム論争にもつながっていきます。ルッキズムとは、「外見で人の価値を決めることや、その差別・偏見」を指す言葉ですが、ネット上のコメントには「気持ち悪いものを見るような目で見られたことがある」などの被害を訴える男性の声が少なくありませんでした。
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