現在も駅そのものの乗降客よりも、山手線、京浜東北線と千代田線の乗り換え客のほうが多いのは、幅が広い乗り換え改札口、乗り換え通路を見れば想像できよう。朝、我孫子・松戸方面から池袋・赤羽方面へと向かう流れが主だ。そのためJRで到着して町へ出ようとすると、小さな1カ所だけの改札口を探し出さねばならず、ちょっと戸惑う。駅構内には誘導のための掲示が随所にあり、構内の複雑さを表している。
隣の駅が近すぎるのと線路で地域が細かく区切られているため、西日暮里駅前には、こぢんまりとした雰囲気がある。日暮里駅東口から続く小道は「ルートにっぽり」と呼ばれ、商店街なのだが、やはり駅前広場がある日暮里駅側のほうがにぎわっている印象だ。
JRの高架下、カフェに隣接するスペースは「エキラボniri」と名付けられ、主に地域住民が企画するイベントやワークショップなどが開かれる文化交流拠点。東口側の交差点角、駅の顔とも言える場所に建つビルは「西日暮里スクランブル」といい、地域の飲食店などと連携した事業創出の場となっている。いずれもJR東日本とその子会社が事業主体となって、2019年にオープンした。ただ、それほど大規模なものでもなく、そういったところもこの駅らしいのかもしれない。
JR駅は道灌山のふもと
JR駅は、地下を千代田線が通っている道灌山通り(都道457号)をまたぐ位置にある。道路は山を大きく切り開いて通されており、駅西側の歩道橋から眺めると、その様子が一目瞭然だ。武蔵野台地の東端に沿って東北本線、山手線などが建設されたことが、よくわかる地点の1つである。
この山が道灌山。南側は日暮里山とも呼ばれるが、付近では台地上のひときわ高い丘の幅が狭く、目立つところだ。
ここに室町時代の武将で、江戸城を築いた太田道灌が出城を作ったことが地名の由来と伝えられる。文武両道の道灌が江戸城防衛の拠点として、あるいは風光明媚な地として、どの方角の眺望にも優れたこの山に目をつけたとの説には説得力がある。縄文時代から続く遺跡も発見されており、東京の中でも長い歴史を持つ土地柄なのだ。
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