徳川家康、知られざる健康オタクぶりが凄すぎた 麦めしを好み、健康のために自ら薬を調合

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だが、健康オタクほど信じる道を否定されることを嫌うもの。哀れ片山は家康から怒りを買い、信濃高島(長野県諏訪市)に配流されてしまう。その結果、家康はどんどんやせてゆき、ついに元和2年4月(1616年6月)に75年の生涯を閉じた。

最後は健康意識が高すぎるがゆえの弊害が出たが、慎重な家康だからこそ、約260年間にわたり天下泰平の世をもたらすことができたのだろう。

第11代将軍の徳川家斉も健康意識が高かった。古代の天皇たちと同じく乳製品を重視したという。

そもそも、牛や山羊などを飼育して乳や乳製品を生産する酪農は、日本のどこで始まったのか。北海道だと思われがちだが、意外にも、酪農のルーツは千葉県にある。

酪農を始めたとされる徳川吉宗

1728(享保14)年、8代将軍の徳川吉宗は、外国産馬を輸入する際にインド産の白牛も輸入した。3頭の白牛を嶺岡牧(現・千葉県南房総市・鴨川市)で飼育したことが、最初の酪農だとされている。

家斉が将軍になったころには、白牛は繁殖によって70頭にまで増加。この白牛に着目した家斉は、牛乳からチーズのような「白牛酪(はくぎゅうらく)」を製造することに成功している。

家斉はこの白牛酪がよほど好きだったらしく、大奥で働いている者たちや、本丸と西丸で働く管理職の全員に振る舞っている。健康によいものを探すのが好きな人は、他人にも勧めたがる傾向がある。このころも同じだったようだ。

家斉はそのほかにミョウガタケやミョウガノコなど1日も欠かさずミョウガを食べた。あの独特の爽やかな香りが好きだという人も多いはずだ。香りのもととなるのはαピネン。食欲や血行促進効果があるほか、集中力も増すといわれている。まさに「リーダー食」にぴったりな食材だ。

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