安倍元首相が未達成に終わった宿願の改憲挑戦 重心が低く間口も広い大衆政治家の一面も

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写真は2007年(撮影:高橋孫一郎)

岸田文雄首相も含め、世襲政治家は数多い。「親子2代首相」は福田赳夫・康夫の両氏だけだが、「孫と祖父が首相」は細川護煕氏と戦前の近衛文麿氏、麻生太郎氏(現自民党副総裁)と吉田茂氏、鳩山由紀夫氏と鳩山一郎氏、それに7月8日に落命した安倍晋三氏と岸信介元首相の4例がある。

世襲政治家が政治を目指した理由は人それぞれだが、世襲議員を取材して多かったのは、「先代がやり残した仕事、目指して達成できずに終わった目標を2代で実現したいと思ったから」という答えだった。安倍氏も例外ではない。

公明党が壁となった

母方の祖父の岸氏は1960年に日米安全保障条約改定を仕上げて首相の座を降り、1987年に90歳で死去するまで持論の憲法改正を目指す運動を続けた。1980年代に何度か岸氏から話を聞いたとき、「総理を辞めたのが63歳で比較的若かったから、以後の政治を見ていて、もう一度出ていって憲法改正をと考えたことも」と耳にしたが、本気だったかどうかは不明だ。

安倍氏を初めてインタビューしたのは、1回目の首相就任の3カ月前の2006年6月だった。

「自民党の幹事長だったときに『憲法改正案を下地から書こう』と言った。この国をどういう国にしていくかをみんなで考える。それがこの国を変えていく、切り開いていく精神につながる。その精神がみなぎることが大切です」

自身の改憲論を明快に語った。

安倍氏の首相在任期間は第1次内閣との通算で8年9カ月に達し、史上最長だった。2度目の政権だけでも佐藤栄作元首相を抜いて連続最長在任を記録した。

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