「ちむどんどん」のイタリア料理が物議を醸すワケ 鶏肉を白ワインで煮込んだ「ボロネーゼ」とは?
「トマトが入らないスパゲッティ・ヴォンゴレ・ビアンコと、トマトを入れるヴォンゴレ・ロッソがあるように、トマトが庶民の料理に入る前と後ということで、ボロニェーゼも元はトマトなしの白でした。主人公の新発見ではありません。しかもボロニェーゼという名前のゆえんは、ボローニャを州都とするエミリア-ロマーニャ州一帯がとても豊かな地で、ミートソースを作るときに豚肉、仔牛肉、成牛肉、生ハムを自由に使えた、だからわざわざボローニャの名前が付けられたのです」(長本さん)
たしかに番組で登場したボロニェーゼ・ビアンコなる料理には香味野菜も入っておらず、鶏そぼろ麺みたいな風貌で、あまり美味しそうではなかった。あんなものがわれらがイタリアの誇る料理の一つ、ボロニェーゼだと思われては困る!と憤るのは、長本先生だけではないはずだ。
それにしても、イタリア料理=トマトというイメージが強いのに、料理にトマトを使うようになった歴史はたった100年ちょっとでしかないというのは、面白い話だ。トマトがイタリアにもたらされたのは16世紀中頃、新大陸=アメリカを発見したスペインの「侵略者」たちだった。トウモロコシやじゃがいも、カカオなどと一緒にスペインに持ち帰られたトマトだったが、すぐに受け入れられたわけではなかった。最初はもっぱら観賞用植物という位置付けだったという。その後、高価な薬用として貴族だけが独占する時代が続き、庶民がトマトを一般的に食べるようになったのが、今から100~150年程度前の話というわけだ。
「魚のカルパッチョ」は日本からの逆輸入
1970年代の東京、「アラ・フォンターナ」というイタリアンレストランで修行をするヒロイン暢子。そこで頻繁に登場する料理の一つが「生魚のカルパッチョ」だが(第41話など)、「ヴェネツィアのハリーズ・バーで、元々ピエモンテ州にあった”アルバ風生肉のサラダ”をもとに作られ、ヴェネチア派の画家、カルパッチョの名前を冠したものとされています。それを魚介で作ったのは『ラ・ベットラ』の落合務シェフ。今ではイタリアでも見られますが、それは日本で人気が出た生魚のカルパッチョを、1980~90年代に日本にやって来たイタリアのシェフが持ち帰った逆輸入料理なのです」(長本さん)。
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