学校では、イケイケ経営者の先輩が「どんな分野でも3冊専門書を読んだらプロになれますよ。それでセミナーとか講演会とかどんどん開いて、『この道のプロといえばこの人』って思われたもん勝ちですよ」と、ハッタリのかまし方を教えてくれたので、私は早速、おっちゃんの会社の技術に関する資料を集め、それらしくプレゼンできるように、日本語と英語で練習した。
転職、海外出張、そして電撃婚……すべてMBAの成果
転職して3日目にはソウル出張、帰国後は業界の展示会でプレゼン、その次はイギリスのテレビ局の取材対応、その翌月は台湾出張……という具合に、おっちゃんが関西本社で対応しきれない仕事のすべてを東京で引き受けた。経営者に近い立場でPDCA(Plan Do Check Action)をくるくるくるくる回す日々は、確かにダイナミックだった。
営業先では、頼むから専門的なことばかり質問しないで〜とつねに心臓はバクバクだったが、先輩のおかげで表面上はまるで結婚詐欺師のように、かなり流暢に技術のことを話せるようになった。私のプレゼンを聞いた同級生たちのフィードバックによると、「まさか2カ月前まで違う仕事をしていたとは思えない」だったので、この能力を違う分野で開花させれば第一級の詐欺師になれたかもしれない(なりたくないけど)。
実務で役立つ知識もさながら、このようなハッタリ力、行動力、そして意思決定力などは、ビジネススクールで鍛えられたのではないかと思う。その意思決定の最大の産物が、この転職と、同級生との結婚だった。
MBAで時間価値と市場価値の概念を知り、自分の将来を案じていた矢先、在学中に同級生とスピード結婚をすることになったのである(「崖っぷちOL、出会いから半年で電撃結婚!」参照)。
モットーは「死ぬ気でやっても死なない」
大学院と仕事を両立し始めてからは「死ぬ気でやっても人は死なない」をモットーに、自分の体力と気力のギリギリまで挑戦し、イケイケホルモンを分泌させて毎日を乗り切っていたのだが、そんな気力や努力や知識がいっさい通用しないものにぶち当たった。
妊娠である。
一度食べたものを吐くなんて不経済なこと、これまでの私の人生では片手で数えるほどしかなかったのに、なんと罰当たりなことか、毎食後、食べたものを全部吐くという日々が続く。吐きやすさを考えて口当たりのよいものを食べるという、ワケのわからない方向への努力を日々重ねた(ちなみに研究の結果、柑橘類は吐くとき気持ち悪いということがわかった)。
一度流産をしていたこともあり、この妊娠を継続させるために、おっちゃんの会社のバリバリ最前線からは外してもらい、仕事量も減らし、在宅ワークに切り替えることにした。ちょうど、仕事のピークも過ぎ、関西からの出張ベースで東京の案件を回せそうなタイミングだった。本の出版の話もいただいていたので、とにかく家から出ないで仕事ができることはありがたかった。
もちろん、不安はあった。
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