「赤子よ、これがパパとママの出会った学びやだよ」なんて腹の中の生命体に話しかける余裕もないくらい、口の中が気持ち悪く、唾液が止まらない。
信頼できる事務局の人に事情を話して席を配慮してもらい、卒業証書を受け取った後は速やかに退室し、家族用の控え室の一角で給食のスパゲティのようにグデングデンにのびながらその日1日を乗り切った。食べづわりも併発していたため、祭典の後のレセプションのときはやけに元気に食べていたが、みんなが感動していた卒業生のスピーチも聞けず、とにかく気持ち悪く、そして食事がおいしい1日だった。
もうすぐ最後の授業から1年が経つ。崖っぷちから一念発起してビジネススクールに通い、マックスマーラを着こなすイケイケバリバリキャリアウーマンを目指した私の現在の生活は、結局、それとはまたまったく異なり、未だにマックスマーラは1枚も持っていない。だが人生を左右する大きな転機はあった。今回は、私に訪れた転機と、卒業後の生活について紹介したい。
最初の転機はすぐにやってきた
「かんべ家の長女が、何を血迷ったかビジネススクールに通っているらしい」といううわさは、「また婚期遅れるなあ」という哀れみの声とともに、徐々に親戚や故郷の知人の間を駆け巡り、入学してしばらく経った頃、会社経営をしているおっちゃんから1本の電話がかかってきた。
田舎の中小企業にすぎないおっちゃんの会社が開発したとある技術が業界で注目を浴び、急きょ東京事務所を設立する必要に迫られたという。そこで、東京で小難しいMBAとやらを勉強している私に、少しの間でもいいから、その責務を担ってほしいということだった。
イケイケキャリアウーマンではないにしろ、ベンチャー企業の秘書として、ビジネススクールと両立しながら平穏な毎日を送っていて、転職するにしてももう少し先のことだと思っていたので、突如、降って湧いたこの話に、天然パーマの髪が直毛になりそうなほど悩んだ。
おっちゃんの個人商店みたいな会社なんて響きは、全然イケイケじゃない。が、ニッチな分野で世界的に注目を浴びている、とか、実際に日経新聞に掲載されて問い合わせが殺到している、とかいう話を聞くと、なんだか秘書よりもダイナミックに仕事ができそう、という気持ちになる。
大学院の友人たちに相談すると、全員が「新しい仕事のほうが学んだことをすぐに生かせるじゃん」と後押ししてくれた。また、「○○株式会社 東京事務所マネジャー」というタイトルがつくことで、これまでの自分の寄り道だらけの職歴が華麗にロンダリングされるのではないか、という淡い期待もあり、その世界に飛び込むことにした。
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