十和子さんが結婚を発表した翌1996年は、長らく続いたオウム事件の一連の報道が終わった直後。麻原彰晃が逮捕され、世の中には大きなニュースがなくなった。その穴を埋めるように、十和子さんの結婚と君島家のお家騒動の報道合戦はますます加熱していったように感じられた。
「家から一歩出れば、報道各社のワゴン車が待機している。空港で彼と交わした会話やスーパーの買い物かごの中身まで週刊誌に報じられるような状況でした。でもね、生活や心持ちは意外と穏やかだったんです。台風の目にいるような感覚ですね。外から攻撃されるほど、内側では仲良くせざるをえないし、そうしているうちに家族の絆も深まっていきました。
それに、今振り返れば、普通の女優だった私が当時、多くの人に顔と名前を覚えてもらえたのは、あの騒動と報道のおかげなんだろうなと。客観的に見れば、あれだけ注目を集めるなんて稀有なことだとも思います(笑)」
この最大級ともいえる嵐は、十和子さんの人生に福音をもたらした。
キャリアウーマンとして花開くまで
1997年、長らく続いていたテレビや雑誌における君島家への扇情的な報道もようやく終焉を迎え、穏やかな日常を取り戻しつつあった。
同年に長女を出産。初めての子育てに挑みながら、家業を支える日々の中、報道で受けた心の傷、世の中への不信感や対人恐怖症はゆっくりと癒えていった。
「しばらくは外出するのも人に会うのも億劫でしたが、子育てしているとそんなことも言っていられません。初めての育児に必死で人の助けを借りるために温かさにも触れ、自然と交われるようになっていきました」
30代は、妻として母として忙しくも充実した日々を過ごした。
「あの頃は、自分の仕事とかキャリアのことなんて考えもしなかったです。私は、もともとキャリア志向というわけでもなくて。置かれた場所で自分の役割を全うしたいという思いは強くありましたけど、よもや自分の化粧品会社を作ることになろうとは思いませんでした」
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